もし、江川が高卒で阪急に入団していたら...
「誰が一番のスピードボールを投げたのだろう?」――。時代を越えた怪腕、鉄腕。野球ファンなら一度は話題にしたことがあるのではないだろうか?
400勝の金田正一。もっと古くなら沢村栄治にスタルヒンか?いや怪童・尾崎行雄だ、阪急時代の山口高志こそ速かった。今でこそスピードガンで計測されるから大谷翔平の162キロで文句なしだ...。
話し始めるとキリがないが、江川卓もこの列伝に加えたい。ただし、「高校時代の江川」の注釈つきである。
甲子園でも優勝には手が届かなかったものの、1球投げるたびにスタンドはどよめく。外野に打球が飛ぶだけで歓声と悲鳴が交錯した。
当時の多くのスカウトは「間違いなく160キロ近くは出ていた」と口を揃える。
今でこそ、筋力トレーニングの発達で150キロを超す快速球を投げる球児も珍しくない。だが、40年も前に三振の山を築いた江川の速球もまた特筆ものだった。
加えて、彼の特徴は初速と終速に大きな差がなかったことだ。打者はいくら速くてもある程度の対応は出来る。しかし、手元で伸びてホップするボールはさすがに打てない。まさに江川の快速球はこの類だったから体感速度は160キロを超えていたはずである。
「たら・れば」は勝負事には禁句だが、今でも球界で語られるのは「もし、江川が阪急に入団していたら300勝はしていただろう」という話題だ。
73年に高校生どころかアマチュア球界のナンバーワン投手として阪急(現オリックス)にドラフト1位指名を受けるが、完全拒否。当時の阪急・丸尾スカウトは大晦日も元日も江川宅に通い詰めたが、心を開かせることは出来なかった。
その後、法大から米国野球留学を経て、すったもんだの騒動の末に巨人入団を果たすが、この回り道は投手・江川にとってプラスだったのか?数字だけを見れば否である。
過去の例を引けば、大学、社会人を経てプロ入りした投手で通算200勝を達成したのは村山実や山田久志ら数えるほど。先述した金田や300勝の鈴木啓示ら、大半は高卒選手だ。
最もスピードがあり、パワーもある18歳から20代前半をプロで鍛えていれば江川はどんな選手になっていたのだろうか?
ちなみに巨人での通算勝利は135勝。肩痛もあって実働9年でユニフォームを脱いだ。
もちろん、当時はセ・パの人気格差が大きく、多くの大物はセリーグ人気球団への入団を熱望した。だが、近年では日本ハムの大谷や楽天の松井裕樹ら、高校ナンバーワンの逸材がパリーグの球団へ入団するのも当たり前の時代になった。
今なら、FAも海外挑戦もある。「江川騒動」とは時代が生んだいたずらだったのかも知れない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)