コラム

平成の怪物は蘇るか?-元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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ソフトバンクでプレーする松坂大輔©BASEBALLKING
松坂大輔,

 かつて「平成の怪物」の名を欲しいままにした松坂大輔が野球人生の岐路に立たされている。昨年オフに日本球界復帰を決意。古巣の西武や高校時代の思い出の地である横浜なども獲得に名乗りを上げたソフトバンクが激しい争奪戦を制した。

 メジャーから日本に出戻ってくる選手も珍しくなくなった昨今だが3年12億円とされる巨額契約は松阪ならでは。9年ぶりの日本での投球を心待ちにするファンは多かったはずだ。

 ところが、シーズンが半ばにさしかかっても本格的な投球すら出来ない。6月に行われたソフトバンク本社の株主総会でもその変調ぶりに質問が飛んだほど。一体、松坂に何が起こっているのか?

 横浜高校時代は夏の決勝戦(京都成章)でのノーヒットノーランを含む春夏連覇。西武に入団すると1年目からMAX155キロの豪速球と伝家の宝刀・スライダーを駆使して最多勝、新人王、ベストナインなどタイトルを総なめ。

 2006年オフには第1回WBCのMVPの勲章をひっ下げてボストンレッドソックスと契約。6年5200万ドルの巨額契約はメジャーの関係者すら驚かせた。まさに順風満帆、向かうところ敵なしの快進撃はボストンでも続いた。

 ルーキーイヤーに15勝、201奪三振。翌年も開幕からの8連勝を含む18勝は未だに日本人投手の最多勝記録として残っている。しかし、変調の兆しはすでにこの頃から表れていた。同年5月に右肩の張りを訴えて故障者リスト入り。

 翌2009年春に開催された第2回WBCでも日本のエースとして活躍、2大会連続のMVPを受賞するが、この無理がたたったのかシーズンに入ると戦列離脱が相次ぎ自己ワーストの4勝止まりで終わってしまう。2011年には右ひじの痛みを克服するためトミージョン手術に踏み切るが本来の投球は戻ることなく怪物のメジャー挑戦は終止符が打たれた。

 この松坂の下降線をたどると二つのキーワードが思い当たる。「股関節」と「甲子園」だ。西武入団時の監督だった東尾修は松坂の才能は認めながら早くから股関節の硬さと投球数の多さに不安点を指摘していた。投球動作を検証してみる。

 投手とはマウンドの高さを利用しながら打者に相対する。この際、上体のパワーを生み出すのは下半身の粘りとひねりが欠かせないのだが中でも股関節の柔軟さが不可欠だという。

 とりわけ、メジャーのマウンドは日本に比べて硬い。下半身への負担が増せば上半身にも負荷がかかってくる。これが蓄積されると肩痛、ひじ痛へとつながっていくわけだ。

 さらに、メジャー先発投手の不文律ともいうべき100球の壁も松阪にとってはストレスを貯める一因となった。もともと、制球より球威で勝負する力投型なので球数は多かった。日本なら150球完投が許されても中4日のローテーションを基本とするメジャーでは1イニングに20球も要すればゲームの中盤で交代を余儀なくされる。

 この投球数に関しては第二のキーワードとなる「甲子園」も無縁ではないだろう。近年、高校野球の予選レベルからメジャーのスカウトがやってくる。ここで、彼らが一様に驚き、危惧するのが投手の肩の酷使だ。

 代表例は2年前の愛媛・済美高、安楽智大(現楽天)が記憶に新しい。春のセンバツ大会で5試合を投げ抜き準Vも投球数は722球に達した。かつて、野球界では甲子園の優勝投手はプロで大成しないという定説があった。

 少年時代からエースとして多くの試合で投げ、肩を酷使すれば故障の確率は高くなる。筋肉トレの普及もあって桑田真澄や松坂らはこうしたジンクスを打ち破ってきたが彼らでさえ現役の晩年は故障との戦いに直面するのだ。

 大きな期待と注目を集める松坂の日本球界復帰。工藤監督は「一番苦しんでいるのは彼自身。今は辛抱強く見守ってやりたい」と語る。だが投球フォームすら模索する現状、復活への道のりは厳しいと言わざるを得ない。

 日米を股にかけて夢を追った怪物の最終章はどんなドラマを用意しているのだろう?

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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