自力優勝消滅の中日で台頭するルーキー遊撃手
大混戦のセ・リーグで最下位に沈む中日。7月29日の敗戦により、ついに自力優勝が消滅した。そうは言っても、上位とそれほど離れているわけではなく、Aクラスはまだまだ射程圏内。まずは、CS進出を狙っていきたいところだ。
そんな苦しいチーム状況で気を吐くひとりが、内野手の遠藤一星。昨秋ドラフト7位で入団したルーキーが7月からショートに定着し、奮闘を続けている。
遠藤は東京都出身、1989年3月生まれの26歳。学年でいうと1988年生まれと同じで、田中将大(ヤンキース)、前田健太(広島)、坂本勇人(巨人)らがそろう黄金世代。前述の3人など高校から即プロ入りした選手に対し、大学4年、社会人4年を経ており、「最後の88世代」とも呼ばれている。
新宿区立大久保小学校1年で野球を始め、新宿区立新宿中学校時代は、硬式クラブ「川崎中央リトルシニア」に所属。遠藤は4期生にあたり、6学年下の10期生には、今年の大学選手権で一躍全国区になった投手・田中正義(創価大3年)がいる。
中学卒業後は都内の強豪私立、駒場学園高校に進学。3年夏の東東京大会ベスト4が最高成績で、甲子園出場はならず。全国区での活躍こそなかったが、ドラフト候補としてリストアップしていた球団はあったという。本人も「プロに行くことしか考えていなかった」そうで、プロ志望届を提出。しかし、2006年秋のドラフトでは指名されず。この年の高校生遊撃手といえば、坂本勇人(光星学院高→巨人1位)がダントツで、野原将志(長崎日大高→阪神1位/現・三菱重工長崎)、梶谷隆幸(島根・開星高→横浜3位/現在は外野手)が続く存在だった。
高校卒業後は、東都大学野球連盟に所属する中央大学に進学。1年春からメンバー入りするも、当時の中大は2部リーグ。すぐにショートのレギュラーとなるが、日の当たらない神宮第二球場(ゴルフ練習場と兼用)でプレーした。チームは2年春にリーグ戦で優勝し、駒澤大学との入れ替え戦を制して1部リーグ昇格。以後、4年秋まで1部に残ったが、優勝は一度もなし。全国の舞台に立つことはなかった。
大学4年秋の2010年、同級生のエース・沢村拓一(現・巨人)がドラフトの目玉として騒がれる中、遠藤はプロ志望届を提出せず。自信があった高校時代から一転、「4年間パッとしなかったし、プロは無理だな」と考えていたという。
守備の要として、チームの要として!
大学卒業後は、社会人野球の強豪・東京ガスに入社。1年目からショートのレギュラーとなり、卒業式前の3月から公式戦に出場。初戦では2番・ショートで1安打1打点を記録している。なお、その試合で先発して勝利投手となったのが、同じ「88世代」の石川歩(現・ロッテ)。遠藤はプロで対戦してみたい投手として、1年早くプロ入りした盟友・石川の名前をあげている。
「技術はもちろん、人間的に成長できた」という社会人野球での4年間。入社1年目から都市対抗という大舞台に立ち、2013、2014年はベスト8。しかし、社会人のショートといえば、田中広輔(JR東日本→広島)。遊撃部門の優秀選手として初めて表彰されたのは、田中がプロ入りしていなくなった2014年のこと。倉本寿彦(日本新薬→DeNA)と二人での受賞だった。また、同年の仁川アジア大会では、日本代表として銅メダル獲得。ショートとして起用されたが、こちらも倉本との併用だった。
2014年秋のドラフトで、中日が7位指名。入団会見では「走攻守すべてでスピード感のあるプレーを見せていきたいと思います。常に一軍で活躍して、チームから信頼のある選手、そして、社会貢献のできる選手になりたいです」とコメント。さらっと社会貢献と口にするあたり、社会人野球での4年間の成長を感じさせるものだった。
開幕は二軍スタートで、一軍初出場は6月末。チームが低迷を続ける中、7月1日に沖縄で行われたDeNA戦で1番・ショートで初スタメン。6連敗中のチームにカツを入れる谷繁元信兼任監督の抜擢に、勝利を引き寄せる初安打&初打点で応えてみせた。同25日のヤクルト戦ではプロ初本塁打。「パッとしなかった」大学時代を過ごした神宮球場での一打に、「出塁しようと思った結果が本塁打になりました。これからも、この気持ちを大事にしていきたいです」とコメント。大学、社会人と実戦で磨いてきた守備に加えて勝負強い打撃に、周囲からは「ここから追い上げて新人王も」という声まで出始めた。倉本、高木勇人(三菱重工名古屋→巨人)など社会人経由のルーキーの活躍が目立つ今季、まだまだ諦めるわけにはいかない。
中日はかつて、荒木雅博&井端弘和の二遊間が定着するのに合わせるように、低迷から脱した。26歳のルーキーがこのままショートに定着して、守備の要、さらには、チームの要になれるか――。混戦のセ・リーグ、下位のチームにも見所は大いにある。
文=平田美穂(ひらた・みほ)