コラム 2015.08.11. 08:00

勝負強さを発揮も三振で名を残した選手たち  1990年代「三振男」ランキング

巨人が11イニングで21三振を記録


 8月7日の対広島戦で、巨人が延長11回までという特殊な条件ながら、プロ野球ワーストとなる21三振を喫した。坂本勇人と村田修一が3三振、7月27日に入団したばかりのカステヤーノスに至っては4三振という滅多に見ることができない光景がそこにはあったが、1990年代に「三振」を代名詞にしていた選手は誰だっただろうか? 独断でベスト3を厳選し、カウントダウン方式で紹介していこう。


「ブンブン丸」の異名がついた池山隆寛


 まず、第3位は池山隆寛(ヤクルト)だ。3番打者として定着した1988年に31本塁打をかっとばして華々しく台頭したが、同時にフルスイングの代償としての空振り三振も多く、「ブンブン丸」というニックネームがついた。1988年、1989年と2年連続で三振王となり、1992年には自己最多の148三振で3度目のセ・リーグ三振王。

 長打力とともにすっかり「三振」のイメージも定着したが、野村克也監督の「ID野球」がチームに浸透し、ヤクルトがリーグ優勝の常連になってくる1993年以降は、加齢と度重なる故障の影響もあってか徐々に打撃スタイルが変化。打順は3番から6番へ移り、わずかながら強振は控え目に。賛否両論あったが、成熟したプレイヤーへと昇華していった。

 一方で、むしろ逆の流れをたどったのが、2位に選んだ清原和博(巨人他)だ。1986年に西武入団当初の若手時代こそ三振が多かったが、その後は軸足の右ヒザをうまく沈み込ませて外寄りのコースを右方向へおっつける打法を確立。1990年代前半までは広角に打つイメージが強かった。

 ところが、西武時代の末期となる1993年以降、再び三振の数が急増し、FAで巨人に移籍後はすっかり三振の多い打者として定着。強打者ゆえに、体に近い厳しいコースを攻め続けられた結果、内角への意識が過剰になり、腰が引けて外角球にも届かなくなる悪循環に見舞われた。それでも、勝負どころでは甘く入ってきたボールを逃さず一振りでケリをつけるシーンを何度も創出。「さすが」と唸らせる面は、最後まであったことは付け加えておきたい。


本塁打と三振が表裏一体だったブライアント伝説


 そして、栄えある(?)第1位として讃えるのはラルフ・ブライアント(近鉄)だ。通算本塁打数は8年間で259本。今や伝説となった1988年の「10.19」ロッテ対近鉄戦では、一時勝ち越しとなる本塁打を放ち、翌1989年の天王山となった西武対近鉄ダブルヘッダーでは4打数連続本塁打で王者・西武の息の根を止めるなど、メモリアルな本塁打は数知れず。1990年には東京ドームの天井スピーカーを直撃し、「認定本塁打」第1号も記録した。

 その反面、好不調の波が激しく、打てないときには数試合の間、ひたすら三振を繰り返していたことも。悔しさのあまり、三振したときの空振り後、返すバットをを両手で持って自らの腿を支点にその場でへし折る姿が風物詩のように見られた。折られたバットにとっても、本来の目的であるボールを飛ばすこと叶わず、腹いせに自身を折られては、大層無念だったことだろう。

 シーズン記録を見ても、1989年から1994年までに6年連続100三振以上、故障により出場数の少なかった1991年以外はすべての年でパ・リーグ三振王となっており、1993年の204三振は今もプロ野球記録となっている。

 ブライアントの偉業は、多くの空振りを屍として積み重ねながらも、フルスイングする姿勢を貫いたことで、本当に求められた場面で胸のすくような打球を放ち、報われたことになる。個人とチームとではまた状況は違うだろうが、プロ野球記録を残した巨人は、その後どのような姿勢を見せるだろうか? 注目したいところだ。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)
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