コラム

「個」の大切さを貫いた仰木彬-元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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近鉄、オリックスで監督を務めた仰木彬(左)と教え子のイチロー(右)[Getty Images]
 野茂、イチロー、長谷川、田口、吉井。彼らの共通項は何か?メジャーの門を叩いた挑戦者まではほとんどの人が思い浮かべるだろう。さらに付け加えるならいずれも「仰木門下生」であることだ。

 もっとも古き野球人の香りのする指揮官がもっとも球界の新しい潮流に理解を示し、パイオニアを生んだ。この懐の深さこそが仰木彬の魅力を物語っている。

 こよなく酒を愛した人だった。西鉄ライオンズ(現西武の前身)に入団直後から武勇伝は数知れず。自在に人心を操った名将・三原脩でさえ手こずったほどの問題児でもあった。

 強くて人気絶頂の1950年代。稲尾和久、中西太、豊田泰光らスーパースターの陰に隠れたいぶし銀のバイプレーヤーはそれでも三原の繰り出す用兵、戦術をしっかりと学び継承していった。後の「仰木マジック」の原型がここにある。

 近鉄監督時代の本拠地・藤井寺球場。炎天の下でランニングする姿をよく見かけた。健康管理もあるが多くの場合は前夜の酒を抜くためだった。オリックス監督時代には、ナインとは別移動で新幹線に乗り込む場面に出くわした。

 グラウンドで仕事さえしっかりしてくれればあとは干渉しない。野球界は川上巨人がⅤ9を成し遂げて以来、広岡、森の西武黄金時代も管理野球が幅を利かせてきたが仰木は自分の体験からも「個」の大切さを貫いたのだろう。

 自由奔放、変幻自在。仰木野球とは何をしでかすか?敵将を悩ます勝負師の采配が大きな特徴だった。打線は何十通りのオーダーを猫の目のように組み替えていく。

 投手起用でも小刻みな継投を好み、一人の打者と対戦途中でも交代を命じて投手コーチと激論になることも。もちろんデータに裏付けられた用兵でもあるが、相手にとって嫌がること、勝負の主導権を握らせないことなど恩師・三原譲りの「マジック」は一時代を築いて行った。

 1988年には近鉄監督就任1年目で西武と最終戦まで優勝を争う「伝説の10・19」の死闘。さらにオリックスの監督時代には95年の阪神・淡路大震災で悲しみに暮れる地元に勇気を与えようと「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ制覇、その翌年には日本一まで駆け上がった。

 2005年暮れにがん闘病の末、不帰の人となった。オリックスと近鉄の合併のこの年に監督復帰するもすでに病魔はこの名将の体を蝕んでいた。数日前に見舞った教え子・イチローは後にこう語っている。

 「この上司のために働きたい、と思わせる能力が誰よりも長けていた」理想の指揮官像がそこにあった。(敬称略)

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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