「捕手兼任コーチ」の存在意義
日本ハムというチームは、チームづくりにおいてフロントが一貫して哲学を持っている。編成、査定、育成まで、現場ではなくフロント主導で、スター選手が退団しても安定して戦える体制がつくられているのだ。
次代の若手が育ってきたと見るや、すぐさま同タイプの一軍選手を放出…というケースも多い。そんなドライなチーム編成のなかで異彩を放っていたのが、今年プロ29年目のシーズンを最後に引退した中嶋聡の存在だ。
中嶋は1986年にドラフト3位で阪急(現・オリックス)に入団した。「阪急ブレーブスに在籍した最後の現役選手」と言われるようになって、もう6年になる。
オリックスの軟投派エースだった星野伸之のすっぽ抜けたカーブを、ミットをはめていない右手でキャッチし、星野よりも速いボールで返球したという「素手キャッチ事件」はもはや伝説化している。強肩強打の大型捕手として、ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞1回。80年代後半から90年代にかけて、パ・リーグを代表する捕手のひとりだった。
そんな実績のある中嶋だが、2007年からはコーチ兼任となり、ここ数年の出番は1年間で数試合のみ。それでも、日本ハムは中嶋を支配下登録し続けた。日本ハムが中嶋を求めた最大の理由は、捕手というポジションの特異性が挙げられるだろう。
中嶋が兼任コーチとして控えていることで、もし一軍の捕手に故障者が出た場合、中嶋を「第三の捕手」として出場選手登録することができるからだ。捕手は体の負担が大きく、故障の多いポジションでもある。そこで一軍の状況、空気感を知っている中嶋がバックアップ要員として控えていることは、栗山英樹監督にとって心強かったはずだ。
40代半ばにして若手と見劣りしない守備力
また、捕手というポジションは育成が難しい。プロに入団するくらいの素材なら、肩の強さなど基本的なスペックなら大差はない。あとは実戦のなかで「捕手の仕事」を覚えられるか。つまり実戦経験を積まないと上達しないのだ。
今年の日本ハムなら、ドラフト2位ルーキーの清水優心が二軍で77試合マスクをかぶった(試合出場は83試合)。球団としては、スローイングに難はあるものの今季パ・リーグ3位の打率.326を残した近藤健介と、今季一軍で27試合マスクをかぶった石川亮、そして清水、この3人を近未来の正捕手候補と考えているに違いない。
そんななかに中嶋が存在したことで、日頃はコーチとして一軍捕手にアドバイスを送り、また隠れバックアップ捕手という黒子役になることで、必然的に若手がファームでのびのびと実戦経験を積むことができた。そう考えると、球団への貢献度は計り知れないものがある。
そして忘れてはならないのは、中嶋の捕手としての能力が、晩年まで衰えを感じさせなかったということだ。
2014年の春季キャンプ。日本ハムのシートノックを見ていると、市川友也、近藤、中嶋の3人が捕手のポジションに入っていた。そのなかで中嶋の肩の強さは、若いふたりと比べても遜色なく、コントロールに関しては中嶋が最も優れていたのだ。なんという44歳だと驚くとともに、中嶋が現役生活を送り続けられる理由がわかった気がした。
阪急・オリックスで11年、西武で5年、横浜(現・DeNA)で1年、そして日本ハムで12年…。気づけば日本ハムが最も在籍年数の長いチームになった。
今年10月1日のロッテ戦(札幌ドーム)。9回の守備から今季2度目となるマスクをかぶり、試合後のセレモニーで阪急OBの山田久志氏から花束を受け取った。最後に「ひとつも悔いはありません」とスピーチした中嶋。これほど動けた46歳の捕手は、これから先も現れないかもしれない。
文=菊地高弘(きくち・たかひろ)