巨人の左腕として79勝の実績を残しメジャー挑戦
研鑽された技術のぶつかり合いである勝負。そこから離れた時に放たれた野球選手の“ことば”―——。その発言に注目すると彼らの別の一面が見えてくる。
「印象に残るバッターは松井秀喜さん。尊敬している先輩で、アメリカで対戦した時はワワクワクしましたし、身震いもしました」
2015年9月、日本2球団、メジャー4球団に在籍した左腕・高橋尚成が引退会見で名前を挙げたバッターは、巨人時代に一緒のユニフォームを着た先輩の松井秀喜だった。
高橋尚成は1999年、巨人にドラフト1位で入団。ルーキーイヤーに9勝を挙げると翌年も9勝し、巨人の先発ローテーションを守り続ける左腕となった。2003年には先輩・松井秀喜がニューヨークヤンキースに移籍。偉大なる打者の背中が高橋のメジャーへの気持ちを後押ししたことは間違いない。
2009年オフ、10年間で79勝の実績を残した高橋は、メジャーを目指し海外FA権を行使する。2004年、ニューヨークメッツとマイナー契約。開幕にはメジャー昇格を勝ち取った。
大打者・松井秀喜との対決はたった2打席
2010年、メッツでは当初は先発、その後は抜群の制球力をいかしリリーフとして登板を重ねた。この年、高橋は規定回数未到達ながら二桁勝利をマークする活躍を見せる。
2011年はエンゼルスと年俸380万ドルの契約を結び、リリーフとして期待される。4月28日、高橋が思い焦がれた松井との対戦がやってきた。本人は「松井さんとは、オープン戦の成績で通算8打数5安打4ホーマーとやられっぱなし」とコメントしていたが、公式戦では初対戦だ。
アスレチックスの4番は松井。8回2アウト3塁、1点ビハインドで登板した高橋は、2ストライクと追い込み、レフトライナーに松井を打ち取る。また、2度目の対戦もライトフライと抑え切った。
「やっぱり雰囲気がありますし、日本一の打者と思っている。これからも最善を尽くす」。対戦直後の言葉からも一世一代の勝負をやり切った高橋の意地が見えた。
高校から甲子園で注目を浴び、4球団競合のドラフト1位で巨人に入団した野球エリート・松井秀喜。一方、高校、大学、社会人を経てプロに入り、巨人からメジャーにわたっても苦労を重ねたひとつ年下の高橋尚成。高橋にしてみれば、ようやく公式戦の対戦相手としてふたりの野球人生が交錯し、ぶつかり合えた歓喜の瞬間でもあった。
2014年、高橋は5年ぶりに日本球界のDeNAに復帰。しかしながら、2年間で1勝も挙げられず、チームに貢献できなかった。好投を見せながらも援護がない不運な試合もあり、周囲からは「まだやれるのでは?」との声もあった。だが、引退の決意にも松井秀喜への思いが隠されていた。
「(2012年に)引退した松井さんもまだまだできると言われていた。かっこいいなと思った。『僕も松井さんみたいに』と。そこまでかっこよくないけれど……」
巨人からメジャー4球団、DeNAとわたり歩いた左腕は、ほんの少しの悔しさを球界に残しながらも、最後には「やりきった」と笑顔を見せた。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)