1塁側フェンスに頭から激突、車いすで自宅に戻る
研鑽された技術のぶつかり合いである勝負。そこから離れた時に放たれた野球選手の“ことば”——。発言に注目すると彼らの別の一面が見えてくる。
「やり残したことはない。常に200%、300%、1000%でやってきたつもり」
平野恵一(オリックス)の引退会見での発言は彼の全力プレーを呼び起こさせる言葉であった。
センターに抜けるかというあたりに追いつき、ジャンピングスロー。内野へボテボテのゴロを打って1塁ベースにヘッドスライディング。平野恵一のプレーは、常に観客を魅了し続けてきた。
だが、平野の思い切りのよさはときに大ケガにつながる。2006年5月6日のロッテ戦、セカンドを守る平野は、一塁側のファウルフライに頭からフェンスへ激突し、ダイビングキャッチ! ひとつのアウトは取ったが、その結果、胸骨骨折などの重傷を負ってしまう。自宅に車いすで戻ったときには、選手生命のみならず「命のことまで考えました」というほどのケガであった。
懸命のリハビリを続けた平野は、同年9月、奇跡的に戦列復帰。そのときのファンの歓声は平野の宝物となった。
移籍した阪神でカムバック賞、ベストナインも受賞
2008年からは阪神のユニフォームに袖を通し、外野手登録ながらも主に2番セカンドでスタメン出場。最多犠打、カムバック賞を獲得。2010年にはリーグ2位の打率.350を記録し、2011年には2年連続のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。
この活躍を平野は、「自分は一回死んだ身。支えて下さった人への感謝の思い。だから恐怖心はなかった」と語る。平野のがむしゃらさは、持って生まれた性格もあるだろうが、絶望を知った男の強みでもあったように思う。だからこそ、200%で満足することなく、1000%と言い切るまで自身を追い込むことができたのだ。
FA宣言後、2013年から古巣オリックスに復帰するも、ふくらはぎのケガでたびたび戦線を離脱する。もう体は限界。内野、外野を縦横無尽に駆け回り、ヘッドスライディングを持ち味にしたガッツマンは14年間のプロ野球生活を終え、バットを置くことを決意した。
来季からは阪神の二軍守備走塁コーチへ就任することが決まっている平野。金本監督からは「気持ちのないコーチを選ぶつもりはない」とエールを送られた。どこかおとなしい選手が多くなってしまった今の阪神に、平野の現役時代を彷彿とさせるような、1000%の力を出し切る若虎をどんどん生み出してほしい。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)