幼少期から“硬球”を扱うという強み
全国の野球少年・少女がしのぎを削りあう「リトルリーグ」。現在プロ野球界にいる選手たちの多くが、この舞台を経て今に至っている。
リトルリーグには世界選手権が存在する。アメリカのペンシルベニア州ウィリアムズポートで開催されるもので、これに出場するためにはまず日本選手権を制し、アジア太平洋選手権を制する必要があった。
今でこそ日本の実力が認められ、日本選手権優勝=世界選手権出場になっているが、一昔前は厳しい“予選”が必要だった。
2002年は、仙台東リーグ(宮城)が日本選手権を制覇。アジア太平洋選手権はフィリピン・マニラで開催された。
アジアでは敵なし。圧倒的な強さで優勝を成し遂げ、世界選手権への出場権を得た。フィリピン~米国と移動距離も長かったが、それ以上に小学生や中学生を持つ親御さんが大変だった。経済的にももちろんだが、子供だけにしておくわけにはいかず、親も共に遠征に参加したのだ。
「いったい、いくらかかるのかしら…?」。心配する母親の生声にふれたとき、野球にもお金がかかるんだな、と思った。
さて、当時の仙台東リーグには、投手の3本柱がいた。3番手投手だったのが、現在ヤクルトに在籍している佐藤由規だった。まだあどけなさが残る顔立ちだったが、球は速かった。
世界選手権の1次リーグ、初戦はロシア戦だったが、先発したのは佐藤。何とノーヒットノーランの快投をみせ、チームを波にのせた。
「あまり調子はよくなかったけど、何とか打ち取ることを考えました」と謙遜していた佐藤だが、コントロールよくコーナーに投げ分け、球威も十分。非の打ち所のない投球だった。
仙台東は、その後も快進撃を続け、決勝へ進出。ところが、最後は米国チームを前に屈し、準優勝という結果に。「悔しいです…」と涙を浮かべた佐藤はその後、仙台育英高に進学。甲子園を沸かせ、プロ入りした。
最近はケガの影響もあり、育成選手からの再出発となっているが、何とかもう一度、這い上がってほしい。
また、この由規だけでなく、リトルリーグ出身のプロ野球選手は多い。
松坂大輔は、東京・江戸川南リトル出身。阪神の新監督・金本知憲は広島中央リトル、中日の二軍監督・小笠原道大は千葉市リーグ、大久保博元前楽天監督は水戸リトル、そして大谷翔平は岩手・水沢リトル。
リトルリーグからプロへ。この道筋が、プロへの近道になっていることは確かであろう。
加えて、リトル出身者は選手生命が比較的長いというのも特長。基礎の基礎から硬式野球を教わり、硬球に慣れ親しむことが野球で成功するために必要なのだろう。