コラム

平石洋介、小山良男 あの名勝負の主将がともに指導者に

小山は中日でバッテリーコーチ


 98年夏、甲子園準々決勝で未だに語り継がれる名勝負が繰り広げられた。

 横浜対PL学園の一戦はセンバツ準決勝での因縁も重なり、注目の一戦となった。試合は延長17回まで続く激闘となり、9対7で横浜が制した。勝った横浜は準決勝の明徳義塾戦で大逆転、決勝の京都成章戦ではエース松坂大輔がノーヒットノーランを達成し春夏連覇を成し遂げる。

 あれから18年。松坂がソフトバンクで再起を誓う中、横浜キャプテンの小山良男は中日の一軍捕手コーチ、PL学園キャプテンの平石洋介は楽天の二軍監督と指導者としてプロのグラウンドに立っている。

 小山は高校卒業後、東都大学野球の名門・亜細亜大に進学。主将となった大学4年時には同期の木佐貫洋(元日本ハム)、永川勝浩(広島)を擁し大学選手権、明治神宮大会で優勝する。高校教員免許を取得したこともあって、母校・横浜高校の次期監督候補に挙がったこともあった。

 それでも小山はJR東日本を経て、04年にドラフト会議で中日から8位で指名される。4年間の選手生活を終えると、中日のブルペン捕手に転身。09年の第2回WBCでは日本代表のブルペン捕手として招集され、世界一連覇を陰で支えた。そして、今年からブルペン捕手から一軍捕手コーチに役職が変わり、指導者として新たなスタートを切った。

 小山に託されたのは、「ポスト谷繁」の育成だ。長年チームの正捕手として君臨した谷繁元信(現監督)が昨年限りで引退。杉山翔大、桂依央利、松井雅人、ルーキーの木下拓哉らが正捕手争いに名乗りを挙げる。それだけに小山の担う役割は重大だ。


松坂世代では初の二軍指揮官となった平石


 18年前の横浜対PL戦で、その小山の構えでピッチャー松坂の球種を見抜いたのが平石だった。平石は同志社大、トヨタ自動車とプレーし小山と同じく04年、ドラフト会議で創設間もない楽天にドラフト7位で指名を受ける。プロ1年目から開幕一軍でプレーするも、レギュラー獲得までは至らず11年に現役を退く。

 引退した翌年の12年には二軍の外野守備走塁コーチ、さらに翌年には一軍打撃コーチ補佐と指導者としてのキャリアを着々と積んでいく。今年からは35歳の若さで二軍監督に就任。他球団では巨人・斎藤雅樹、中日・小笠原道大と名選手が二軍監督に就任する中、平石の抜擢はその球歴、指導力はもちろんのこと、初の楽天生え抜き監督としての球団の期待も感じられる。

 くしくも「松坂世代」での二軍監督就任は平石が初めてとなる。銀次、枡田慎太郎、哲朗、中川大志と二軍から戦力となっている選手が続いているだけに、平石の手腕が大いに期待される。
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