「ブ~ちゃん」の愛称で親しまれた中日・中田亮二が1日、戦力外通告を受けた。中田は、明徳義塾高時代に横浜高の涌井秀章(現ロッテ)から本塁打を含む猛打賞を記録するなど高い打撃技術を誇り、大学は野球の名門・亜細亜大へ進学。1年からレギュラーに定着し、4年の秋には史上14人目となる東都通算100安打を達成した。そして2009年のドラフト会議で中日から3位指名を受けプロの門を叩く。
当時の中日は、中田が守る一塁に主砲ブランコという大きな壁が立ちはだかってはいたが、立浪和義、井上一樹といった左打者が現役を引退。1年目から出場しやすい環境はあった。1年目の夏に初昇格を果たすと、出場2試合目でプロ初安打をマーク。クライマックスファイナルステージにも出場し、第3戦では、和田一浩の適時打で日本シリーズ進出を決めるサヨナラのホームを踏んだ。ロッテとの日本シリーズにも、第3戦に「6番・指名打者」で先発出場。その試合は無安打に終わるも、第6戦では内竜也のストレートをフェンス直撃の二塁打を放つなど、翌年以降に大きな期待を感じさせた。
飛躍を期待された2011年だが、二軍では首位打者争いするほどの活躍を見せるも、一軍では26試合の出場にとどまり一軍定着することができず。その後は2012年に左膝関節前十字靭帯損傷、2013年には右肘関節形成術で骨棘と遊離体などを除去と毎年のように故障に泣かされた。その間チームは左の代打の切り札として小笠原道大を獲得し、森野将彦を一塁へコンバート。3年目の高橋周平など毎年のように左打者のライバルが増え、段々と存在感が薄れていった。迎えた今季は二軍で打率.343と高い成績を残すも、一軍では16試合に出場し打率.105と売りである打撃をアピールすることができず。
見た目は“ホームラン打者”の中田だが、結局、一軍では本塁打ゼロで中日のユニホームを脱ぐこととなった。本人は現役続行を希望しており、今後は移籍先を探すことになる。残した実績以上にファンから注目を集めた中田。その個性的なキャラクターは、プロ野球界に必要な人材に違いない。だからこそ、新天地では人気だけでなく実力でも注目を集める姿を見せてほしい。
当時の中日は、中田が守る一塁に主砲ブランコという大きな壁が立ちはだかってはいたが、立浪和義、井上一樹といった左打者が現役を引退。1年目から出場しやすい環境はあった。1年目の夏に初昇格を果たすと、出場2試合目でプロ初安打をマーク。クライマックスファイナルステージにも出場し、第3戦では、和田一浩の適時打で日本シリーズ進出を決めるサヨナラのホームを踏んだ。ロッテとの日本シリーズにも、第3戦に「6番・指名打者」で先発出場。その試合は無安打に終わるも、第6戦では内竜也のストレートをフェンス直撃の二塁打を放つなど、翌年以降に大きな期待を感じさせた。
飛躍を期待された2011年だが、二軍では首位打者争いするほどの活躍を見せるも、一軍では26試合の出場にとどまり一軍定着することができず。その後は2012年に左膝関節前十字靭帯損傷、2013年には右肘関節形成術で骨棘と遊離体などを除去と毎年のように故障に泣かされた。その間チームは左の代打の切り札として小笠原道大を獲得し、森野将彦を一塁へコンバート。3年目の高橋周平など毎年のように左打者のライバルが増え、段々と存在感が薄れていった。迎えた今季は二軍で打率.343と高い成績を残すも、一軍では16試合に出場し打率.105と売りである打撃をアピールすることができず。
見た目は“ホームラン打者”の中田だが、結局、一軍では本塁打ゼロで中日のユニホームを脱ぐこととなった。本人は現役続行を希望しており、今後は移籍先を探すことになる。残した実績以上にファンから注目を集めた中田。その個性的なキャラクターは、プロ野球界に必要な人材に違いない。だからこそ、新天地では人気だけでなく実力でも注目を集める姿を見せてほしい。