ソフトバンクは26日、ドラフト1位指名した松本裕樹投手(盛岡大付高)と入団合意したことを発表。背番号が「66」になる見込みであると伝えられた。
「66」といえば、かつてエースとして君臨していた斉藤和巳氏が入団以来18年間背負っていた番号。斉藤氏は同日、自身のブログを更新し、背番号への思いを綴っている。
「18年間も付けさせて頂いた番号やから、66という数字だけでも意識をしてしまう。愛着がある数字。めちゃくちゃ好きな数字。これは正直な気持ち」とし、「次に誰がどのタイミングで『66』を付けるのかも、正直気になっていた部分もある」と告白。
後継者となる松本が「誰を目指すというものはない」と言っていたことに関しては「プロのアスリートとして、上を目指す者として…、まずは合格でしょう‼︎」と述べ、「目指す!んじゃなく…、“目指される”アスリートになってもらいたい。そして、「66」を”松本”の数字にしてもらいたい!そうなれば、更に「66」が輝いてくれると思う」と、後輩にエールを送った。
最後にひとつだけ注文するとするならば、「ユニホームの着こなしにはこだわってもらいたいかな(笑)!「66」のユニホームの着こなし…、格好良く見えるとエエな‼︎」とコメント。「今は肘の調子が良くないみたいなんですが、新生『66』を、どうぞよろしくお願いします!」と締めた。
00年より登録名を『斉藤和巳』に変更するも、背番号はそのまま。その年プロ初勝利をマークすると、03年にはそれまでの7年間で積み上げた通算9勝を大きく上回る20勝を挙げて大ブレイク。06年には投手四冠を達成。押しも押されもせぬホークスの大エースとして君臨した。
その後は度重なる肩のケガにも苦しみ、07年を最後に一軍マウンドに戻ることなく11年に支配下登録を解除。それでも背番号は変わらず、「66」のまま三軍リハビリ担当コーチとしてチームに留まり、復帰を目指し奮闘するも叶わず。13年のシーズン途中で現役を引退した。
今年は空き番号となっていた「66」を継承するとみられるのがドラフト1位の松本裕樹。肘の故障で場合によっては手術の可能性も出てきているが、球団は「ゆっくり治して体を作っていけばエースになれる」とその潜在能力を高く評価している。
「66」といえば、かつてエースとして君臨していた斉藤和巳氏が入団以来18年間背負っていた番号。斉藤氏は同日、自身のブログを更新し、背番号への思いを綴っている。
「18年間も付けさせて頂いた番号やから、66という数字だけでも意識をしてしまう。愛着がある数字。めちゃくちゃ好きな数字。これは正直な気持ち」とし、「次に誰がどのタイミングで『66』を付けるのかも、正直気になっていた部分もある」と告白。
後継者となる松本が「誰を目指すというものはない」と言っていたことに関しては「プロのアスリートとして、上を目指す者として…、まずは合格でしょう‼︎」と述べ、「目指す!んじゃなく…、“目指される”アスリートになってもらいたい。そして、「66」を”松本”の数字にしてもらいたい!そうなれば、更に「66」が輝いてくれると思う」と、後輩にエールを送った。
最後にひとつだけ注文するとするならば、「ユニホームの着こなしにはこだわってもらいたいかな(笑)!「66」のユニホームの着こなし…、格好良く見えるとエエな‼︎」とコメント。「今は肘の調子が良くないみたいなんですが、新生『66』を、どうぞよろしくお願いします!」と締めた。
斉藤和巳の背番号「66」
95年のドラフト1位で斉藤和巳が入団。引退した宮田正直に代わって背番号「66」を背負う。当初の登録名は『カズミ』であった。00年より登録名を『斉藤和巳』に変更するも、背番号はそのまま。その年プロ初勝利をマークすると、03年にはそれまでの7年間で積み上げた通算9勝を大きく上回る20勝を挙げて大ブレイク。06年には投手四冠を達成。押しも押されもせぬホークスの大エースとして君臨した。
その後は度重なる肩のケガにも苦しみ、07年を最後に一軍マウンドに戻ることなく11年に支配下登録を解除。それでも背番号は変わらず、「66」のまま三軍リハビリ担当コーチとしてチームに留まり、復帰を目指し奮闘するも叶わず。13年のシーズン途中で現役を引退した。
今年は空き番号となっていた「66」を継承するとみられるのがドラフト1位の松本裕樹。肘の故障で場合によっては手術の可能性も出てきているが、球団は「ゆっくり治して体を作っていけばエースになれる」とその潜在能力を高く評価している。