今季、外野でゴールデングラブ賞を初受賞した阪神の大和が、FA権を行使してメジャー挑戦を視野に入れている鳥谷敬に変わり、来シーズン遊撃を守る可能性が高まっている。
プロ入り後、内野を主戦場としていた大和は二塁で09年53試合、10年44試合に出場し、平野恵一、関本賢太郎のバックアップとしてチームを支えていた。12年からは内野手登録(14年は外野手登録)ながら外野で出場機会を求め、13年に初めて規定打席に到達しレギュラーを獲得した。
外野から内野へのコンバートといえば、打撃力を活かすため一塁転向が一般的。一方で、一塁以外で外野から内野に挑戦する事例は少ない。その中で最も成功したと言えるのが“壁際の魔術師”と呼ばれた元巨人の高田繁だ。今回の大和とは異なり、高田はプロ入り入団から内野を経験したことがなく、巨人V9時代は左翼として、1972年に創設されたダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を4年連続(72~75年)で獲得した。
76年からは日本ハムから移籍してきた張本勲が左翼を希望したため、三塁へコンバート。三塁でも外野時代とは変わらぬ高い守備力を見せ、転向1年目の76年からダイヤモンドグラブ賞を受賞。ちなみに外野から内野の順でゴールデングラブ賞を獲得しているのは、高田と元日本ハムの稲葉篤紀の2人しかいない。
また、大和のように内野手ではあったが、レギュラーを獲得するために一時的に外野を守っていた選手もいる。巨人の井端弘和(元中日)と中日の荒木雅博だ。のちに”アライバ”コンビと呼ばれ、二塁・荒木、遊撃・井端の2人で6年連続ゴールデングラブ賞を受賞した守備のスペシャリストも、外野手として出場機会を求めた時期があった。
01年の6月26日、27日の巨人戦のスタメンでは、二塁に立浪和義、遊撃に福留孝介の2人が守り、中堅に荒木、右翼に井端と右中間で”アライバコンビ”を実現させている。
鳥谷の動向次第で再び来季から内野に戻る可能性が高い大和。秋季キャンプでは中日時代“アライバ”を育てた高代延博コーチも高評価を与えているだけに、来季は内野手としても球場を沸かしてくれそうだ。
プロ入り後、内野を主戦場としていた大和は二塁で09年53試合、10年44試合に出場し、平野恵一、関本賢太郎のバックアップとしてチームを支えていた。12年からは内野手登録(14年は外野手登録)ながら外野で出場機会を求め、13年に初めて規定打席に到達しレギュラーを獲得した。
外野から内野へのコンバートといえば、打撃力を活かすため一塁転向が一般的。一方で、一塁以外で外野から内野に挑戦する事例は少ない。その中で最も成功したと言えるのが“壁際の魔術師”と呼ばれた元巨人の高田繁だ。今回の大和とは異なり、高田はプロ入り入団から内野を経験したことがなく、巨人V9時代は左翼として、1972年に創設されたダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を4年連続(72~75年)で獲得した。
76年からは日本ハムから移籍してきた張本勲が左翼を希望したため、三塁へコンバート。三塁でも外野時代とは変わらぬ高い守備力を見せ、転向1年目の76年からダイヤモンドグラブ賞を受賞。ちなみに外野から内野の順でゴールデングラブ賞を獲得しているのは、高田と元日本ハムの稲葉篤紀の2人しかいない。
また、大和のように内野手ではあったが、レギュラーを獲得するために一時的に外野を守っていた選手もいる。巨人の井端弘和(元中日)と中日の荒木雅博だ。のちに”アライバ”コンビと呼ばれ、二塁・荒木、遊撃・井端の2人で6年連続ゴールデングラブ賞を受賞した守備のスペシャリストも、外野手として出場機会を求めた時期があった。
01年の6月26日、27日の巨人戦のスタメンでは、二塁に立浪和義、遊撃に福留孝介の2人が守り、中堅に荒木、右翼に井端と右中間で”アライバコンビ”を実現させている。
鳥谷の動向次第で再び来季から内野に戻る可能性が高い大和。秋季キャンプでは中日時代“アライバ”を育てた高代延博コーチも高評価を与えているだけに、来季は内野手としても球場を沸かしてくれそうだ。