昨シーズン、惜しまれながらもユニフォームを脱いだ和田一浩(元中日)。
19年間の現役生活は必ずしも順風満帆とは言えないが、中日時代のチームメイトで解説者の山崎武司氏が「天才ではなく、努力の男。ベン(和田選手の愛称)は野球にすべてを捧げる」と話すように、実直かつ真摯に野球と向き合う日々の中で、史上45人目となる通算2000本安打の偉業を達成した。
42歳11ケ月での達成は、2013年に42歳4ケ月だった谷繁元信監督兼捕手の記録を塗り替える史上最年長記録。社会人を経由し、30歳でようやくコンスタントに試合にではじめた所謂「遅咲き」選手である彼の記録達成は、超人的であると言っていい。
そんな和田をはじめ、山本昌、小笠原道大、谷繁元信らベテラン勢が昨季で現役を退き、中日から去った。「経験」という武装を外すことは、チームにとって大きなマイナスにもなり得る。
ただ、チームという生き物は永続的に新陳代謝を行い、生まれ変わることを繰り返さなければならない。そうしなければ、溜池が腐っていくように、チームは衰退の一途を辿る。
「FAで中日に来た時から、ここで辞めるという覚悟でいた」。そう現役引退の決意を振り返る和田。その後も十分第一線で活躍できるだけのパフォーマンスを発揮していながら、その決断はとても潔いものだった。
捕手で西武に入団後、プロの分厚い壁の前でもがき苦しんだ日々。29歳にして長年連れ添った捕手というポジションに別れを告げ、外野手に転向。「未練はいっぱい。ショックも、抵抗もあった」と話す。
しかし、そうした紆余曲折が和田の偉業を生み、誰もが知る「和田一浩」を作り上げた。その姿は歩く模範であり、どれほど多くの後輩達に学びを与えてきたのだろう。
中日は今、「進化」に向けた過渡期にいる。黄金期と呼ばれ、スポットライトを浴びたかつての栄光は過ぎ去り、3年連続Bクラス。血の入れ替えが行われ、変革の過渡期にいるなかで、中日はどのような進化を遂げるのか。
長い歴史のなかでは、和田以外にも多くのレジェンド達が中日のユニフォームに袖を通してきた。彼らが紡いだ球団史が消え去ることはない。
欧州の歴史あるサッカークラブがそうであるように、チームにはアイデンティティが宿るもの。流れた汗と涙は受け継がれ、時代に即して発展していくべきだ。青い竜の魂の雄叫びを今季こそ見せて欲しい。
19年間の現役生活は必ずしも順風満帆とは言えないが、中日時代のチームメイトで解説者の山崎武司氏が「天才ではなく、努力の男。ベン(和田選手の愛称)は野球にすべてを捧げる」と話すように、実直かつ真摯に野球と向き合う日々の中で、史上45人目となる通算2000本安打の偉業を達成した。
42歳11ケ月での達成は、2013年に42歳4ケ月だった谷繁元信監督兼捕手の記録を塗り替える史上最年長記録。社会人を経由し、30歳でようやくコンスタントに試合にではじめた所謂「遅咲き」選手である彼の記録達成は、超人的であると言っていい。
そんな和田をはじめ、山本昌、小笠原道大、谷繁元信らベテラン勢が昨季で現役を退き、中日から去った。「経験」という武装を外すことは、チームにとって大きなマイナスにもなり得る。
ただ、チームという生き物は永続的に新陳代謝を行い、生まれ変わることを繰り返さなければならない。そうしなければ、溜池が腐っていくように、チームは衰退の一途を辿る。
「FAで中日に来た時から、ここで辞めるという覚悟でいた」。そう現役引退の決意を振り返る和田。その後も十分第一線で活躍できるだけのパフォーマンスを発揮していながら、その決断はとても潔いものだった。
捕手で西武に入団後、プロの分厚い壁の前でもがき苦しんだ日々。29歳にして長年連れ添った捕手というポジションに別れを告げ、外野手に転向。「未練はいっぱい。ショックも、抵抗もあった」と話す。
しかし、そうした紆余曲折が和田の偉業を生み、誰もが知る「和田一浩」を作り上げた。その姿は歩く模範であり、どれほど多くの後輩達に学びを与えてきたのだろう。
中日は今、「進化」に向けた過渡期にいる。黄金期と呼ばれ、スポットライトを浴びたかつての栄光は過ぎ去り、3年連続Bクラス。血の入れ替えが行われ、変革の過渡期にいるなかで、中日はどのような進化を遂げるのか。
長い歴史のなかでは、和田以外にも多くのレジェンド達が中日のユニフォームに袖を通してきた。彼らが紡いだ球団史が消え去ることはない。
欧州の歴史あるサッカークラブがそうであるように、チームにはアイデンティティが宿るもの。流れた汗と涙は受け継がれ、時代に即して発展していくべきだ。青い竜の魂の雄叫びを今季こそ見せて欲しい。