楽天・片山が投手再転向
楽天は3月31日、片山博視内野手が投手に変更したことを発表した。
片山といえば、2005年の高校生ドラフト1位で“投手“として楽天に入団。プロ3年目の08年に一軍デビューを果たすと、10年にリリーフで53試合に登板して、防御率1.88とセットアッパーに定着。翌11年も左のセットアッパーとして、23ホールドを記録し楽天のリリーフ陣には欠かせない存在感を発揮していた。
しかし、14年シーズンに左肘痛で苦しんだこともあり、15年に野手転向。同年、打者として一軍昇格は叶わず、二軍戦では打率.238、1本塁打、11打点の成績。オフに育成選手として再契約を結んだ。
支配下登録を目指し、今年2月に行われたキャンプでは2年目の小野郁からバックスクリーンに豪快な一発を放つなど、アピールを続けていた。だが、ここへ来て左肘の状態が回復。一度は諦めた“投手”に再転向することを決めた。
遠山は投手に再転向し大ブレイク
過去にも片山と同じように“投手→野手→投手”と転向した選手がいる。現役時代、阪神、ロッテなどでプレーした遠山奨志氏だ。85年のドラフト1位で阪神に投手として入団した遠山氏は、90年オフにロッテにトレード移籍。ロッテ時代に野手に転向し、96年には二軍で最多安打のタイトルを獲得したが、翌97年に自由契約となる。
それでも、同年オフの阪神入団テストで“投手”として合格を勝ち取った。投手復帰1年目の98年は目立った働きを見せることができなかったが、野村克也氏が阪神の監督に就任した99年に投球フォームをサイドスローに転向。
これをきっかけに、遠山の野球人生は大きく生まれ変わった。当時球界を代表するスラッガーだった松井秀喜氏(巨人)を得意にし、全国にその名を轟かせ大ブレイク。翌00年は絶対的な抑え投手がいなかったこともあり、相手打者の左右に応じて右の葛西稔、左の遠山が、交互に登板する「遠山-葛西-遠山-葛西」という必勝パターンも完成した。
投手に再転向となった片山。遠山のように投手として、もう一花咲かすことができるか注目だ。