プロ10年目で野手に転向する片山 雄平は野手転向5年目で打率3割
楽天の片山博視選手が、投手から内野手にコンバートされた。
2006年に報徳学園高から高校生ドラフト1巡目で入団し、11年にはチーム最多の59試合に登板した片山だが、左ヒジを痛め昨季は4試合しか投げられなかった。2月のキャンプイン後も左ヒジの状態は良くならず、プロ10年目での野手転向となった。参考までに、片山のプロ通算打撃成績は5打席4打数0安打1三振である。
片山のように投手から野手にコンバートされる選手は多い。プロ入り直後に転向するケースがほとんどだが、昨季、野手転向5年目にして自身初の規定打席に達し、打率3割を残した雄平(ヤクルト)は、投手として7年プレーし通算18勝をあげている。昨季、自身初の首位打者に輝き、今や日本球界を代表する選手になった糸井嘉男(オリックス)は、一軍登板の経験こそないが、プロ入り後の2年は二軍で通算36試合に登板した。
日本では投手から野手に転向する選手が多く、野手から投手に転向する選手は少ない。オリックスなどに在籍した萩原淳は、高校時代に投手経験がなく強打の内野手としてプロ入りし、9年目に投手へコンバートされた。引退するまで通算270試合に登板したが、萩原のようなケースは非常に稀である。
アメリカでは野手から投手のケースが多い!
それが、メジャーに目を向けると、投手から野手に転向する選手よりも野手から投手に転向する選手のほうが意外に多いのだ。
サンディエゴ・パドレスなどで活躍したトレバー・ホフマンは大学時代やマイナー時代に野手としてプレーしたが、プロ3年目に投手にコンバート。「12歳を最後にマウンドにあがったことがなかったから不安のほうが大きかった」とホフマンはのちに当時の心境を語ったが、速球とチェンジアップを武器にメジャー歴代2位の通算601セーブをあげた。
デトロイト・タイガースに所属しているジョー・ネイサンは、主にショートでプレーしていた選手。その後、マイナー時代に投手へのコンバートを打診された。ショートにこだわりを持っていたネイサンは拒否し、チームを離脱するものちに復帰。メジャー昇格後の2年は先発として起用されたが、ケガも多かったためリリーフに転向した。昨季まで通算714試合に登板し、341セーブと今ではメジャーを代表するリリーバーである。
ほかにもアナハイム・エンゼルス(当時)などで活躍し、通算358セーブをあげたトロイ・パーシバルも、プロ入り時は捕手でマイナー時代に投手へコンバートされた。メジャーの場合は、打撃や守備に難はあるが、強肩を生かして投手にコンバートされるケースがほとんどで、リリーバーとして活躍する選手が多い。
その中でも異色なのがボストン・レッドソックスなどで活躍したティム・ウェイクフィールドだ。
高校時代は野手と投手を兼任していたウェイクフィールド。大学進学後は内野手に専念し、1988年のドラフトでピッツバーグパイレーツに指名された。しかし、プロの球に対応できず90年に投手へコンバート。キャッチボールの際に遊びで投げたナックルボールがコーチの目に止まったのがコンバートのきっかけとも言われている。2012年に引退するまで、通算200勝をあげメジャー史に残るナックルボーラーとなった。
日本では、エースで4番という言葉もあるように、運動能力に優れている選手が投手を務めることが多い。しかし、アメリカや中米ではショートが最も重要とも考えられている。投手は、運動能力よりも背が高いことを優先することもあるという。そういった考え方もコンバートのちがいに表れているではないだろうか。
文=京都純典(みやこ・すみのり)