巨人の捕手事情
4月13日、巨人の相川亮二が一軍に昇格した。巨人は小林誠司、相川亮二の捕手2人体制となる。開幕からここまでは小林誠司がほぼスタメンマスクを被ってきたが、巨人のキャッチャー事情がまだ落ち着かない状況であることが、今回の相川の昇格からもわかる。
2013年のドラフト1位で日本生命から入団した小林誠司は、即戦力として、そして阿部の後継者として期待されてきた。しかし、2014年63試合出場、2015年70試合出場と、レギュラーを確実につかんだとは言いがたい状態だ。
そして相川は、プロ21年目で今年40歳になる球団最年長選手。今年捕手に復帰した阿部も37歳と、最近は選手生命が伸びたとは言え、チームの将来を考えると決して良い状況ではないだろう。
そんな中、チームは昨年のドラフトで4位宇佐美真吾、8位松崎啄也、育成2位小林大誠の3名の捕手を獲得した。巨人は2009年にも3名の捕手を指名しているが、その時入団した3選手のうち市川は2014年に日本ハムへ移籍、河野は2011年に11試合出場したが他の年は出場0、鬼屋敷は2013年と2014年に1試合ずつ出場しただけで、やはり若いキャッチャーが育っていない印象は否めない。
今回一軍に昇格した相川亮二は、昨シーズン、阿部の一軍転向という事情もあり、FAでヤクルトから移籍した。阿部の代わりとなる実績のあるキャッチャーを補強することにより、プロ2年目の小林をきちんと育てることが目的だったわけだが、相川が7月に左手首骨折で離脱したことで、巨人首脳陣の目論見は外れる結果となってしまったわけだ。
そんなチーム事情に巻き込まれている相川だが、巨人移籍時にヤクルトから提示された指導者を視野に入れた残留要請を断っているという経緯をみてもわかるように、チーム最年長とはいえレギュラー獲得への思いは強いはずだ。
一軍定着後、優勝経験なし
相川にはまだやり残していることがある。いつもギリギリのところで優勝の輪に加われずにきたのだ。
94年ドラフト5位で横浜ベイスターズに入団。肩の強さと打撃力を買われての入団だったが、高校2年の冬に外野手から捕手に転向したばかりで、まだ捕手経験4か月だったこともあり、一軍での初出場は5年目の99年と時間がかかった。
横浜が38年ぶりの日本一になったのはその前年の98年。その後も現中日監督の谷繁の控えに回る形での出場が続きながらも、年々出場試合数を増やしていき、02年に谷繁が中日に移籍したこともあり、04年から退団する08年までは100試合以上の出場を続け、横浜の中心選手として活躍、07年にはプロ13年目にして初めてのオールスター出場も果たしている。
08年、若手に出場機会を譲ることも多くなり、オフに海外FA権でのメジャー挑戦を表明するが契約までは至らず、ヤクルトへ移籍。ヤクルトでも正捕手として順調なシーズンを送るが、12年の2度のケガをきっかけに出場試合数が減少、14年には若手の中村を起用するというチームの方針から58試合出場にとどまり、出場機会をもとめて巨人への移籍を決めた。
そして、ヤクルトは昨シーズン14年ぶりのリーグ優勝を果たす。相川は再び優勝とすれ違う形となってしまった。もちろんこれは結果論であり、優勝だけが全てではないが、やはり悔しい思いはあるのではないか。
プロ21年目の大ベテランとは思えないほど横浜時代から印象の変わらない相川が、刺激の足りない巨人の正捕手争いを盛り上げていけば、今度こそ優勝の輪の中に加わる姿を見られるかもしれない。