飛び交う日本語の理由
ついに開幕したメジャーの2016年シーズン。なんと球団116年ぶりとなる開幕9連敗を喫したのが、ミネソタ・ツインズだ。
チームの雰囲気は決して良いとは言えないが、試合前のベンチはめっぽう明るい。その理由はある“日本人”にあった。
ある日本人メディアがツインズのベンチに近寄った時の事だった。クローザーのパーキンスや主力のマウアー、プラウフらがにやにやしながら、その日本人を見つめている。すると「おはようございます」、「ごちそうさま」などと、流ちょうな日本語で話しかけた。
その後も次々と、選手が入れ替わりながら覚えたての日本語で話かけたり、手を合わせてお辞儀してみたりと、日本人を見かけただけで選手たちは大はしゃぎ。しまいには「●●●!」と、とても文章には書けないような言葉を叫び始めた。
いったい誰がこんなことを教えたのか……?と考えた時に、なるほど、と思った。このチームには日系人のカート・スズキがいる。祖父母が愛知県出身の日系アメリカ人3世で、アメリカ合衆国・ハワイ州の出身。スズキがチームに日本語を教えているのだろう。あたりを見回してみると、大はしゃぎする選手たちの奥に、その模様を見つめているスズキがいた。
その日本人は苦笑しながらスズキに「君が教えたのか?」と日本語で問う。しかし、スズキはその質問に答えるどころか、その質問自体を理解できかねる様子だった。
そう、スズキは日本語が話せないのだ。では、いったいどうしてツインズの選手たちは、このような日本語を使えるのだろうか……。すると、ある1人の選手が意外な日本語を発した。
「ニシオカ」――。
西岡。そう、阪神の西岡剛のことである。
2011年、ツインズはチーム史上初の日本人選手として西岡を獲得した。背番号「1」を背負った西岡は、その年の開幕・ブルージェイズ戦にスタメンで出場し、華々しいメジャーデビューを飾る。しかし、その後は故障も重なり、わずか2年のメジャー生活で日本球界に戻ってきた。
これらは西岡なりのコミニケーションだったのだろう。根っからの明るさですぐにチームに溶け込んだ西岡は、あらゆる日本語の単語をチームメートに教えたという。合掌ポーズも、お辞儀ポーズも、すべて西岡が伝授したものだ。
西岡がチームを離れてから、約3年。だが、西岡が残した“文化”は、まだツインズに残っている。
アメリカを訪れる機会があったら、是非ツインズの本拠地・ターゲットフィールドを訪れてほしい。アメリカ最大のショッピングモール「モールオブアメリカ」からトラムで直通。ダウンタウンからも徒歩圏内と、観光には最適の立地だ。
そして、球場に着いたら、是非とも選手に日本語で話しかけてみてほしい。きっと“西岡仕込み”の日本語で返答があるはずだ。