2006年の第1回ワールドベースボールクラシック(WBC)で、日本が見事に優勝を飾った。第2回大会も優勝。第1回WBCで投手としての評価を高め、メジャー移籍のきっかけを掴んだのが松坂大輔であれば、打者で該当するのは、福留孝介ではないであろうか。
3番打者として起用されたが、予選リーグでは期待に応えることができなかった。しかし準決勝の対韓国戦、7回に代打で出場し、金炳賢(キム・ビョンヒョン)から2点本塁打を放ち、日本の決勝進出の立役者となった。
その後、決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮し、日本の長距離砲として、世界にアピールできた大会になった。
同年のシーズンは、打率.351、31本塁打、104打点という結果を残し、リーグMVP。中日のリーグ優勝に大きく貢献した。翌07年は肘の故障等で出場機会を減らしたものの、同年オフにFAで活躍の舞台をメジャーに移した。
しかし、3チームを渡り歩いたメジャー5年で、596試合、打率.258、42本塁打と、満足な結果は残せず。13年に阪神へ移籍し、日本球界に戻ったが、復帰1年目の13年は63試合の出場で、打率1割台と苦しんだ。期待も大きかった分、ファンからも厳しい声が飛んだ。
それでも、15年は140試合に出場し、打率.281、20本塁打、76打点と、阪神の主軸として活躍。「超変革」を掲げる金本阪神において、16年は開幕から主に4番としてチームを引っ張り、ここまで打率.341、2本塁打、14打点を記録する。
来年17年は、第4回WBCが行なわれる。第1回優勝を知る貴重な存在である福留が、仮に8年の時を経て再び侍ジャパンのユニフォームに袖を通すことになれば、日本の精神的柱になるであろう。小久保裕紀監督が日本代表に選出したいと思わせるような活躍に期待したい。
3番打者として起用されたが、予選リーグでは期待に応えることができなかった。しかし準決勝の対韓国戦、7回に代打で出場し、金炳賢(キム・ビョンヒョン)から2点本塁打を放ち、日本の決勝進出の立役者となった。
その後、決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮し、日本の長距離砲として、世界にアピールできた大会になった。
同年のシーズンは、打率.351、31本塁打、104打点という結果を残し、リーグMVP。中日のリーグ優勝に大きく貢献した。翌07年は肘の故障等で出場機会を減らしたものの、同年オフにFAで活躍の舞台をメジャーに移した。
しかし、3チームを渡り歩いたメジャー5年で、596試合、打率.258、42本塁打と、満足な結果は残せず。13年に阪神へ移籍し、日本球界に戻ったが、復帰1年目の13年は63試合の出場で、打率1割台と苦しんだ。期待も大きかった分、ファンからも厳しい声が飛んだ。
それでも、15年は140試合に出場し、打率.281、20本塁打、76打点と、阪神の主軸として活躍。「超変革」を掲げる金本阪神において、16年は開幕から主に4番としてチームを引っ張り、ここまで打率.341、2本塁打、14打点を記録する。
来年17年は、第4回WBCが行なわれる。第1回優勝を知る貴重な存在である福留が、仮に8年の時を経て再び侍ジャパンのユニフォームに袖を通すことになれば、日本の精神的柱になるであろう。小久保裕紀監督が日本代表に選出したいと思わせるような活躍に期待したい。