思わず「えっ?」…本塁打が適時打に
現地時間5月9日(日本時間10日)のメジャーリーグで、珍しい“事件”が起こっていたのをご存知だろうか。
イチローの所属するマーリンズは、本拠地でブリュワーズと対戦。0-0で迎えた2回、一死一塁の場面で、マーリンズの7番・リアルミュートはセンターへの先制2ランを放った。
2人の選手がホームに生還し、マーリンズが2点を先制。ところが、ここでブリュワーズ側が猛抗議。チャレンジでビデオ判定となる。
問題のシーンは、リアルミュートがセンターへ大飛球を放った直後のこと。打球は確実にフェンスを超えていたのだが、一塁走者のオズ-ナはタッチアップのために一塁へと帰塁していたのだ。
打ったリアルミュートは打球を確認しながら一塁を周ったところ、そこには打球に背を向けて一塁ベースへ猛然と戻ってきたオズ-ナの姿が。リアルミュートもそれに気づき、なんとなく一塁ベースを通りすぎた後、ラインに沿ってライト方向へと進んだところで止まったものの、リプレイ検証の結果“追い越し”が確認され、「2ランホームラン」が「センターへのタイムリー」に訂正された。
試合はマーリンズが4-1で勝利したため事なきを得たものの、これがもし1点差で負けでもしていた日には大問題となっていただろう。
新庄剛志が記録したサヨナラ“柵越えタイムリー”
珍しいプレーとは言え、意外と起こりうるプレーでもある走者の“追い越し”。今一度おさらいしておくと、前の走者を後ろの走者が追い越してしまった場合、後ろの走者がアウトとなる。
本塁打を打った場合もそれは変わらず、その場合は今回のように本塁打を放った打者がアウトとなり、本塁打は取り消し。前の走者が生還したことによる打点はつくが、自らの得点はなくなってしまう。
もし二死からの本塁打でこのようなケースになった時は、もっと恐ろしい。打者走者にアウトが宣告された時点で3アウト成立が認められてしまうため、前にいる走者が本塁を踏んでいないかぎり、得点そのものがなくなる可能性があるのだ。
この説明をする上での良い例えが、日本のプロ野球でも起こっている。2004年9月20日、札幌ドームで行われた日本ハム-ダイエー戦でのことだ。
試合は乱打戦となり、9回表までで12-12の同点。日本ハムは9回裏に二死ながら満塁のチャンスを作ると、打席には千両役者・新庄剛志が入った。
緊迫した場面の中、新庄は初球を迷いなくフルスイング。放たれた打球は左中間スタンドへ飛び込むサヨナラ満塁本塁打になった。
16-12で日本ハムが勝利。札幌ドームは歓喜に沸いたが、しばらくすると様子がおかしいことに気がつく。一塁ベースと二塁ベースのちょうど間ほどで、新庄が足を止めていたのだ。
何が起こっていたのかというと、喜び爆発の新庄に一塁走者の田中幸雄が駆け寄り、一塁と二塁の間ほどのところで抱き合って喜んだ。そこまでは良かったのだが、喜びのあまり抱き合った2人はその場で一周。この瞬間、新庄が一塁走者を追い越したことが認められた。
幸いにも三塁走者がその前に本塁を踏んでいたため、サヨナラの得点が剥奪されることはなく、13-12で日本ハムの勝利。新庄は本塁打1本と打点3つを損することになったが、チームは勝利を収めた。
勝ったからよかった、と言ってしまえばそれまでなのだが、一歩間違えば大惨事。たとえばもしもこの時、日本ハムが11-12で負けており、三塁走者の生還より先に新庄の追い越しが認められてしまった場合、どうなるかはもうお分かりだろう。11-12で日本ハムは負けていたことになるのだ。
この時の日本ハムは、この年から新設されたプレーオフ(現在のクライマックスシリーズ)に向けて激戦が繰り広げていた真っ最中。もしそんなことが起こっていたら…。今考えてもゾッとしてしまう。
時に珍プレーは伝説となる
しかし、先程までは最悪の場合のことについて言及してきたが、こうした“記憶に残るプレー”が選手のキャリアを彩るということもまた事実。
新庄のこの事件も、『サヨナラ柵越えタイムリー』として新庄の野球人生の中で輝くひとつの“伝説”となり、こういったプレーが起こる度にいつも思い出される歴史的出来事のひとつとなっている。
また、2004年といえばプロ野球全体が「球界再編問題」に揺れていた年。しかもこの試合は、日本初のプロ野球ストライキ明けの初戦だった。
試合前のノックでは、新庄の発案によりって森本稀哲、島田一輝、石本努、坪井智哉の外野手5名で『秘密戦隊ゴレンジャー』のかぶりものを被るパフォーマンスを実施。球界を盛り上げようと必死に盛り上げてきた中、本業の方でもファンに喜びと感動をもたらした。
お立ち台に登った新庄は、「きょうのヒーローは僕じゃありません。みんなです!」という“名言”で会場を大いに沸かせた。インタビューの最後で言い放った「明日も勝つ!!」という言葉を覚えている日本ハムファンは多いだろう。
気をつけなければいけないプレーであることに間違いはないが、こうした“事件”も野球のたのしみのひとつだということもまた事実である。