ここ10年の「Aクラス率」は80%!
4年ぶりのリーグ制覇を目指して戦う北海道日本ハム。1981年に19年ぶりの優勝を果たして以降、25年もの間優勝から遠ざかる暗黒時代を乗り越え、2006年にリーグ制覇の悲願を果たした。
それ以降、長かった低迷がウソだったかのような安定した戦いぶりを見せ、リーグ屈指の強豪へと成長。直近の10年間では優勝4回、2位が2回、3位も2回と、“Aクラス率”は80%を誇っている。
他球団と比べて“独自路線”の色が濃いのが特徴的なチーム。決して資金的には潤沢とは言えない球団事情の中で、積極的な若手起用や一貫したドラフト戦略、意外なトレードや補強を駆使し、現在のチームはつくり上げられた。
マイケル→武田久
そんな近年の強さを支えてきた大きな要素の一つが、守護神の育成である。
2006年、リーグ制覇を果たした年のチームにはマイケル中村(MICHAEL)がいた。39セーブを挙げてセーブ王のタイトルを獲得し、優勝に大きく貢献すると、連覇となった翌2007年も34セーブを挙げた。
この頃のマイケルといえば安定感抜群で、敗れたのは2006年、2007年ともに1敗ずつ。絶対的な守護神として君臨していた。
ところが2009年、チームはそんな功労者をトレードで放出する。球界に衝撃を与えた、二岡智宏・林昌範とマイケル中村・工藤隆人のトレードだ。
それでも、前年までセットアッパーとして活躍した武田久が守護神に指名されると、一気にブレイク。55試合の登板で3勝負けなし、防御率は1.20という好成績を残し、2年ぶりとなるリーグ制覇に貢献。
守護神を務めた2009年から2013年までの5年間で、セーブ王のタイトルに輝くこと実に3回。不動の守護神としての地位を築いてみせた。
武田久→増井浩俊
そしてその武田久が不調に陥った2014年シーズン、チームを救ったのが現在の守護神である増井浩俊だ。
シーズン途中からの配置転換ながら、23セーブを記録。守護神として開幕を迎えた2015年には39セーブを挙げ、チームを2年連続でクライマックスシリーズ進出に導く立役者となった。
しかし、2016年に問題が起きた。今年も開幕から増井が守護神として登板するも、どうもピリっとしない内容が続く。
7つのセーブは記録したものの、防御率は7.84と目を疑ってしまうような数値に。黒星がつかずとも試合を締められないという日が立て続けに見られ、ついには二軍での調整を命じられた。
いつもならばここで新たなストッパーが誕生する流れであるのだが、それが今年はどうもうまくいかない。助っ人のマーティンが緊急で9回に入ったが、増井が復帰してからは9回の持ち場は増井の担当に戻っていた。
そろそろ増井の後釜を...
このように日本ハムの守護神を振り返っていくと、前年までは守護神へのつなぎ役を果たしていた中継ぎが配置転換し、そのまま守護神の座を取って代わるというパターンが多いことがわかる。
武田久もストッパーを任される前の2006年から2008年までの3年間は中継ぎとして奮闘し、75試合・64試合・62試合と3年連続で60試合以上に登板。フル回転でブルペンを支えていたし、増井も同じく2012年に73試合の登板で45個のホールドを記録するなど、中継ぎとして優秀な成績を残してからストッパーへと転向している。
そんな増井も今年でもう31歳。プロ入り2年目の2011年から5年連続で50試合以上に登板しており、日本代表としてシーズンオフの期間も戦うなど、チームの為に腕を振り続けてきた。
まだまだ老けこむ年ではないと言っても、勤続疲労は相当なもの。無理をしてきたリリーフ投手たちが故障や不調で離脱してしまうというシーンが近年だけでも多く見られているだけに、いつまでも増井に頼りっぱなしという訳にはいかない。強かった頃のサイクルを踏襲し、次代の守護神候補を発掘・育成していく必要がある。
2016年のリーグ制覇という目標はもちろん、数年先を見据えた課題解消への着手も求められる栗山監督。イキの良い若手が多いチームで、指揮官は誰を次なる守護神へと育て上げるのか。後ろが不安定な今こそ、救世主の出現に期待が高まる。