元祖「育成の星」といえば...
プロ野球に「育成ドラフト制度」が導入されたのが、2005年のこと。
翌年2006年から早くも支配下登録を果たす選手が出始め、2016年5月現在で実に128名もの育成出身の支配下選手が生まれた。一芸を武器にプロの舞台へと殴りこみ、通常のドラフト選手よりも過酷な状況から這い上がってきた男たちは、プロ野球界を盛り上げてきた。
育成出身の選手と聞いてまず思い浮かぶのが、巨人の中継ぎ左腕・山口鉄也(巨人)であろう。現在まで8年連続60試合登板を続け、通算のホールド数は歴代No.1の260を数える(※5月21日現在)。侍ジャパンの一員としてWBC出場も経験した球界を代表するリリーフ投手である。
最近ではロッテの守護神として活躍する西野勇士や、ソフトバンクの千賀滉大など、勢いのある選手を挙げてみると投手が多い印象。では、育成出身の野手で成功を収めた選手といえば誰になるだろうか。
その選手も巨人にいる。2007年に歴代3番目の支配下選手となり、3年目には新人王を獲得した元祖「育成の星」こと松本哲也である。
ケガに泣かされ続けたキャリア
山梨学院大付高から専修大に進学した松本。4年時には主将も務め、同大学を一部復帰へと導いている。
一塁到達3.85秒という俊足を活かした走塁と、広い守備範囲を買われて2006年の育成ドラフト3位で巨人に入団。翌2007年には早くも支配下契約を果たすが、公式戦出場は0に終わった。
2年目の2008年、5月28日の楽天戦で念願のプロデビュー。ところが、初打席の走塁時に右くるぶしを剥離骨折するアクシデントに見舞われ、一軍での出場はわずか3試合に終わった。
それでも、ファームでは打率.276をマークし、チームトップの10盗塁を記録。自身の武器をアピールして頭角を表すと、3年目の2009年には129試合に出場。打率.293、16盗塁という数字を残し、新人王に輝いた。
翌2010年も開幕スタメンを飾り、4月には一時首位打者に躍り出る活躍を見せたが、開幕から1カ月も絶たないうちに太腿を故障。またもやケガに泣かされ、出場試合数も94に留まる。
すると、以降のシーズンはケガとの戦い。最高でも2013年の91試合に留まり、昨シーズンは44試合の出場。今シーズンも10試合の出場で5打数無安打、盗塁も0。そして5月17日に内海哲也の復帰に伴い、一軍登録を抹消された。
まだまだ若いもんには負けない!
松本の最大の武器といえば、その「走力」。かつては長距離砲を並べた強力打線が巨人の看板となっていたが、近年は打線の勢いが影を潜め、その中で“足”を活かした攻撃の重要性が増している。
巨人というチームにおける“足攻”の勝ちを高めた選手といえば、鈴木尚広だろう。レギュラー選手ではなく、タイトルの獲得歴もないが、38歳になった今でも攻撃の“切り札”として貴重な役割を担う。
鈴木が積み上げてきた“足”での貢献の歴史があるからこそ、巨人というチームにはこれからも“足のスペシャリスト”という存在が求められる。
ところが、ポスト鈴木尚広を巡る争いに新星が現れた。2015年のドラフト2位で巨人にやってきた重信慎之介という存在である。
「スピードなら鈴木以上」とのスカウト評が出るほど、そのスピードは驚異的。オープン戦でプロの壁にぶつかり、開幕は二軍スタートとなったものの、松本の抹消で空いた「左の外野手」「足攻のキーマン」として昇格。21日の中日戦でプロ初安打・初打点をマークするなど、もうアピールを見せている。
若手の台頭は喜ばしいことではあるが、ポジション争いという点では松本にとって大きな「障壁」となる新星の存在。今年で32歳を迎える男が23歳の新人を逆転していくのは容易なことではない。
しかし、東都二部リーグで長い時間を過ごし、当時はまだ先の見えなかった「育成契約」から這い上がった男。常に逆境に晒されながらも、松本は逆転に次ぐ逆転で自らの地位を築いてきたのだ。
まだまだ若いもんに負けるわけにはいかない。またしても吹きすさぶ逆風のなか、育成入団から10年目を迎えた松本哲也は走り続ける。