昨季は不振も…開幕から好調が続く広島打線
1番・田中広輔、2番・菊池涼介、3番・丸佳浩、4番・新井貴浩、5番・エルドレッド…。広島打線の強打が際立っている。
5月25日終了時点のチーム打率.278、チーム本塁打51、チーム得点262はいずれもリーグトップの数字。個人成績で見てもエルドレッド、菊池、新井の3人が打率3割以上をマークし、丸、田中も3割近いアベレージを残している。
昨年、黒田博樹がヤンキースから復帰。エース・前田健太はポスティングシステムでのメジャー移籍が有力視されていて広島では最後のシーズンと噂された。そして「カープ女子」に代表されるカープムーブメントも最高潮に達し「今年(2015年)が優勝する最大のタイミング」と言われた。
しかしシーズンが始まると、投手が好投しても、打線が援護できず敗れるという試合が多く、リーグ4位に終わる悔しい結果となった。優勝できなかった要因として挙げられていたのは、リーグ5位のチーム打率.246に終わった打線の不振だった。それが一転して今年は打線が好調さをキープし、前田が抜けた投手陣をカバーしている。
205本塁打を放った78年の打線
過去の広島を振り返ると、強力な打線を擁した時代があった。まず挙げられるのは1978年。この年の広島はヤクルト、巨人に次ぐ3位に終わったが、チーム打率は.284とリーグトップ。総本塁打数はプロ野球記録を更新(当時)する205本と打ちに打った。初の本塁打王のタイトルを獲得した主砲・山本浩二の44本塁打を筆頭に、ギャレットが40本塁打、ライトルが33本塁打、衣笠祥雄が30本塁打と4人が30本塁打以上を記録した。
水谷実雄は打率.348で首位打者を獲得と打線の活躍が目立った。他にも1番打者には、プロ4年目の高橋慶彦が座り、打率.302と結果を残す。翌年からは日本シリーズ連覇を果たし「赤ヘル打線」はプロ野球界を席巻した。
90年代後半は打線が爆発するも優勝できず…
そしてもう一つ語り継がれているのは1990年代中盤から後半にかけての“ビッグレッドマシン”だ。1番打者の野村謙二郎は95年に3割、30本、30盗塁の「トリプルスリー」を記録。「天才」と称された前田智徳は95年に右アキレス腱断裂の大ケガを負うが、翌96年には打率.313と復活し99年まで4年連続3割と主軸を担った。
この強力打線の4番に座った江藤智は93年に初めて本塁打王を獲得すると、95年は本塁打王、打点王と二冠に輝く。99年オフにFAで巨人に移籍するまで、打線の中心としてけん引した。94年に17本塁打を放ち台頭した金本知憲は、翌95年から前田、江藤に続く5番打者に定着。左のホームランバッターとしてチームに欠かせない存在となる。
さらに、緒方考市は95年から3年連続盗塁王を獲得。年々打撃に磨きがかかり、99年にはキャリアハイとなる36本塁打を放ち、走攻守三拍子揃ったプレーで野村に代わって1番に座った。助っ人外国人でもルイス・ロペスが96年、97年と2年連続打点王に。一度はダイエー(現ソフトバンク)でプレーするが、00年からは再び広島に復帰している。これだけバッターでタレントを擁しながらも、リーグ優勝が一度もなかったのがとても惜しまれる。
現在、巨人と首位争いを繰り広げている広島。昨年、期待されながらも果たせなかった優勝に向かって、さらなる打線の活躍が求められている。