新潟県勢初の決勝進出
いよいよ決勝の日を迎えた「第98回 全国高校野球選手権大会」。高校野球日本一を決める頂上決戦では、これまでも多くのドラマが生まれてきた。
2009年の夏、高校野球“不毛の地”と言われた新潟県から春夏通じて初の決勝戦へとコマを進めたチームがあった。日本文理高校である。
新潟市内にある私立高校だが、県外出身者は少ない。それだけに、新潟県内でも人気の高いチームだ。
2009年、5度目の甲子園出場にして県勢初の決勝進出を果たす立役者になったのが、エースの伊藤直輝。チームの大黒柱として、決勝までの4試合をすべて1人で投げ抜いた。
男の名前を覚えていなくとも、球史に残る名勝負となった中京大中京との決勝戦のことは覚えている人も多いことだろう。
「日本文理の夏は終わらない」
日本文理は初戦で寒川(香川)と対戦。4-3と接戦を制すと、勢いにのる。つづく日本航空石川(石川)戦に12-5で大勝すると、準々決勝の立正大淞南(島根)戦も打線が爆発して11-3の勝利。そして準決勝、県岐阜商(岐阜)を2-1で下し、初めての決勝進出を果たした。
迎えた決勝戦。まずは最終的なスコアからご覧いただこう。
【2009年夏・決勝戦】
日|011 000 115|9
中|200 006 20X|10
まさに死闘。壮絶な打ち合いもあと一歩及ばず、日本文理は準優勝に終わった。エースの伊藤はこの日も9回を投げ抜いたが、8奪三振も10失点と打ち込まれてしまった。
それでも、9回表は「奇跡の9回」として今でも語り継がれる伝説となった。二死走者なしからはじまった驚異の粘り。4本の長短打に3つの四死球を絡めて5得点。最後は同点・逆転のチャンスも作り、快音残した鋭い打球が飛んだものの、サード正面をつくライナーとなって3アウト。あと一歩、届かなかった。
もう一度逆境に立ち向かう
卒業後は東北福祉大へと進学。3年秋からは主将を任されたものの、プロ入りへ最も大事な時期となる4年に右肘の靱帯を断裂。トミー・ジョン手術を受け、大卒でのプロ入りは諦めざるを得なくなった。
その後は社会人野球の名門・ヤマハに入社。肘の方は順調な回復を見せており、現在では遠投やブルペンで投げることができるほどに回復しているという。さらに、社会人1年目には高校時代の同級生と結婚。公私ともに充実した日々を送っている。
あの夏から7年――。プロへの灯火はまだ消えていない。どんな逆境にも諦めず戦い続けた高校時代が男を奮い立たせる。大ケガを乗り越え、夢を叶えるまで...。伊藤の戦いはつづく。