54年ぶり2度目の全国制覇
14日間に渡る激闘が終わった。8月7日(日)に開幕した「第98回 全国高校野球選手権大会」。今年は雨による中止や順延などもなく、21日(日)に決勝戦が行われ、栃木代表の作新学院が頂点を極めた。
作新学院は1962年に春夏連覇を達成して以来、実に54年ぶり2度目の優勝。栃木県勢という括りで見ても同じで、54年ぶりの日本一である。
かつては怪物・江川卓を擁し、近年も6年連続で夏の甲子園に出場を果たすなど、“強豪”や“名門”という印象が強いだけに少々意外かもしれない。
さらに意外なのが、出身プロ野球選手の少なさ。毎年のように甲子園まで出場しながら、作新OBの現役プロ野球選手というのは現在3人しかいないのだ。
小針監督と1・2番コンビを組んでいた男
現役OBの中で最も有名な選手といえば、ロッテの岡田幸文だろう。
球界が誇る外野の守備職人は、作新学院を卒業して日本大に入学。しかし、肘を故障して数カ月で退部となってしまう。それでも地元へ戻り、全足利クラブで主将を務めるなど活躍を見せると、2008年の育成ドラフト6位でロッテから指名された。
持ち前の俊足と、その武器を存分に生かした広い守備範囲で一気にブレイクした岡田であるが、現在母校の野球部で監督を務めている小針崇宏監督は1つ上の先輩。実は共にプレーした経験も持っているのだ。
2年生で1番を任された岡田に対し、小針監督は主将で2番。岡田は「小針さんがいたから思い切りできた」と当時を振り返っている。
“先輩が率いる後輩たち”の活躍に触発されるように、岡田も好調ぶりを発揮。8月はここまで月間21安打を放って打率.318と、課題であるバットの方でもチームに貢献。苦しい夏場の戦いを攻守に支えている。
反骨心溢れるヤクルトの2年目右腕
ヤクルトの2年目・寺田哲也も作新学院のOBだ。
作新学院から作新学院大へと進んだ後、ルートインBCリーグの新潟へ入団。最多勝や最優秀防御率などのタイトルを獲得し、四国アイランドリーグplusの香川へ移籍すると、そこでの活躍が認められてプロの扉が開いた。
プロでは即戦力としての期待を受けながら、一軍での登板は2年間で3試合のみ。0勝1敗で防御率10.80と苦しい戦いが続いている。
独立リーグ時代は、プロとの対戦で自らを猛アピール。特に背番号2ケタ(支配下選手)が相手となると、「絶対打たれてたまるか」という気合で向かっていったと言う。
4月7日の抹消以降は二軍暮らしが続いているものの、台所事情の苦しいチームだけにチャンスはある。あとはそのチャンスを掴むだけだ。
もう一度“反骨心”を武器に這い上がる...。ヤクルトの2年目右腕のこれからに注目だ。
“ポスト阿部”になる...巨人の正捕手を目指す男
最後に紹介するのが、巨人の松崎啄也。今年のドラフト8位で入団した、いわば最新の作新OBである。
松崎も作新学院から作新学院大へ進学し、その後は社会人・日本製紙石巻へと入団。高校3年時には現在の6年連続出場の第一歩となる31年ぶり甲子園出場へと導く立役者となった。
パンチ力が最大の武器で、社会人では打力を活かすべく一塁手に回っていたものの、プロでは“捕手”で勝負。入団会見では「阿部さんが小さい頃からの憧れ。超えるような選手になりたい」と決意を語っている。
現状としてはファームでも5試合の出場に留まり、単打3本で打率.214と持ち前の打力でアピールができず。一軍の正捕手の座も阿部慎之助を差し置いて小林誠司が務めている状態。松崎にとっては険しい道のりとなりそうだ。
それでも、決してエリートコースとは言い難い道を通り、あの巨人軍に入団した。これは彼のたゆまぬ努力と根性の賜物に他ならない。
母校が頂点に立った夏、松崎も意地を見せることができるか。先輩としてこの壁を乗り越え、「新」たな歴史を「作」る姿を見せて欲しい。