過去に4度
24日、今年の「沢村賞」受賞者が決定。広島を25年ぶりの優勝へ導いた左腕クリス・ジョンソンが受賞した。
大投手・沢村栄治氏の功績を称える賞として1947年に制定され、今年で第70回の節目。1950年の2リーグ制からはセ・リーグだけの表彰であったが、1989年から両リーグの投手が対象になった。
その年最も活躍した先発投手に贈られる「沢村賞」は、定められた7つに及ぶ「選考基準」を基に受賞者を決めていく投手最高の栄誉であるが、近年はその基準の見直しを求めるような声も挙がっている。
というのも、投手分業制が進み、先発投手を中6日で回すローテーション制が定番となっている現代において、かなり困難であるものが含まれていいるためだ。
例えば「10完投以上」というのがそのひとつ。今年を見ても両リーグともに最多は「5」。半分がやっとであった。
「200イニング以上」というのも今年は達成者が一人もおらず、『該当者なし』という意見も実際に挙がったという。
今年は回避されたが、70年に及ぶ「沢村賞」に歴史の中で、『該当者なし』は4度あった。一体どんな年だったのだろうか。
『該当者なし』の歴史
現在、同賞の選考における基準は7つ。創設当初から設けられていた指標ではないが、今回はこの基準を目安として各年の投手成績を見てみた。7つの選考基準は以下のようになっている。
【沢村賞・選考基準】
(1)15勝以上
(2)150奪三振以上
(3)10完投以上
(4)防御率2.50以下
(5)投球回200イニング以上
(6)25試合以上の登板
(7)勝率6割以上
<1971年>
・平松政次(大洋)
[○] 17勝/153奪三振/11完投/防御率2.23/279回/43試合登板
[×] 勝率.567
・江夏 豊(阪神)
[○] 15勝/267奪三振/16完投/防御率2.39/263.2回/45試合登板
[×] 勝率.517
※ちなみに...
・山田久志(阪急)
[○] 22勝/189奪三振/16完投/防御率2.37/270回/46試合登板/勝率.786
全項目を満たしていない場合の判定がかなり渋かった当時。この年は平松と江夏の2人が6項目をクリアしたが、勝率で届かずに『該当者なし』の決定が下された。
なお、パ・リーグでは阪急の山田が7つの項目全てをクリアしているが、当時はセ・リーグのみの表彰であったため受賞ならず。成績的には文句なしだった。
<1980年>
・江川 卓(巨人)
[○] 16勝/219奪三振/18完投/防御率2.48/261.1回/34試合登板
[×] 勝率.571
※ちなみに...
・木田 勇(日本ハム)
[○] 22勝/225奪三振/19完投/防御率2.28/253回/40試合登板/勝率.733
この年は江川が6項目をクリアしたが、勝率で届かずに受賞を逃す。数字的にはもう少しで手の届く範囲にいた江川だが、結局最後までこの賞を獲ることができずにユニフォームを脱いでいる。
また、この年もパ・リーグでは全項目を達成した投手がいた。日本ハムの木田勇である。
<1984年>
・郭 源治(中日)
[○] 177奪三振/11完投/216回/34試合
[×] 13勝/防御率3.25/勝率.542
徐々にハードルが高くなってきた時代。最も近いところにいたといえるのは、4項目クリアの郭源治くらいであった。
なお、パ・リーグでもこの年は今井雄太郎(阪急)らの5項目クリアが最高。
<2000年>
※4項目以上をクリアした選手なし。
そしてこの年は、いよいよ『該当者なし』らしい成績に。なにせセ・リーグの防御率トップが項目を満たしていない2.60となっており、15勝以上を挙げた投手もゼロ。
パ・リーグも防御率トップは3.27であり、勝利数も14が最高。奪三振でも150を上回った投手がおらず、完投数10以上は両リーグ合わせてひとりもいないという状態であった。