久々の大型トレードに衝撃
そのニュースがお昼過ぎに飛び込んでくると、日本中の野球ファンに大きな衝撃を与えた。
巨人と日本ハムとの間でトレードが成立。巨人は大田泰示と公文克彦を放出し、見返りに吉川光夫と石川慎吾を獲得した。
大田といえば、東海大相模高から2008年のドラフト1位で巨人に入団。ソフトバンクとの競合の末に勝ち取った、球団待望の主砲候補であった。
あの松井秀喜氏の代名詞であった巨人の「55」をいきなり継承するなど大きな期待をかけられていたが、入団後はなかなかプロの壁を打ち破ることが出来ず。ここまでの8年間で通算打率は.229、本塁打もわずか9本と伸び悩んでいた。
見返りとして巨人が獲得したうちの一人・吉川光夫は、かつてのパ・リーグMVP左腕だ。2006年の高校生ドラフト1位で日本ハムに入団した吉川は、プロ6年目の2012年に14勝を挙げて大ブレイク。防御率1.71で最優秀防御率のタイトルを獲得し、リーグ優勝にも大きく貢献。パ・リーグのMVPに輝いている。
巨人と日本ハムの“縁”
久しぶりの大型トレードは大きな驚きを持って伝えられたが、ファンの中には「またか」と思った方もいたのではないだろうか。というのも、近年はトレード自体が減っている中で、巨人と日本ハムによるトレードは多い印象がある。
今年も4月に大累進と乾真大のトレードが成立しており、昨年は矢野謙次と須永英輝、矢貫俊之と北篤という2対2のトレードが成立した。というわけで、ここでは「巨人と日本ハム」の関係性に注目。1974年に日本ハムファイターズが誕生して以降、両チームで成立したトレードについて調べてみた。
張本氏のトレードが最初
70年代は2件。一番最初はNPBで唯一の3000安打達成者・張本勲を巡るものであった。
かねてから巨人行きが噂されていた張本は、1975年のオフにトレードが決定。王貞治との“OH砲”を結成し、前年最下位に沈んだチームを優勝へと導いた。
日本ハムはV9時代を支えた左腕の高橋一三と外野手の富田勝を獲得。左肩の故障に苦しんでいた高橋は、移籍元年に10勝を挙げるなど復活を遂げ、富田も日本ハムで外野のレギュラーを掴んでいる。
<1975年>
【巨人】高橋一三、富田勝 ←→ 張本勲【日本ハム】
<1976年>
【巨人】山下司 ←→ 無償【日本ハム】
<1985年>
【巨人】西本和美 ←→ 山本勝哉【日本ハム】
<1989年>
【巨人】角盈男 ←→ 無償【日本ハム】
【巨人】金銭 ←→ 山崎章弘【日本ハム】
2003年以降で12回のトレードラッシュ
両者の取引が急激に増加したのは2003年以降のこと。
入来祐作と井手達也のトレードを皮切りに、2006年まで4年連続でトレードが成立。その後もコンスタントに選手の入れ替えが行われた。
中でも大型トレードとして世間を騒がせたのが、2008年オフのもの。それまで長らく巨人の正遊撃手を張ってきた二岡智宏が絡む2対2のトレードが成立した。
その年から巨人の選手会長を務めていた二岡だったが、故障離脱中に坂本勇人という新星が台頭。自身のスキャンダル問題も重なり、プロ入り後ワーストとなるわずか31試合の出場に終わるなど、最悪のシーズンを終えた直後の電撃トレードだった。
<2003年>
【巨人】入来祐作 ←→ 井出竜也【日本ハム】
<2004年>
【巨人】河本育之 ←→ 中村隼人【日本ハム】
<2005年>
【巨人】金銭 ←→ 伊達昌司【日本ハム】
<2006年>
【巨人】岡島秀樹 ←→ 実松一成、古城茂幸【日本ハム】
<2008年>
【巨人】林昌範、二岡智宏 ←→ マイケル中村(MICHEAL)、工藤隆人【日本ハム】
<2009年>
【巨人】岩舘学 ←→ 金銭【日本ハム】
<2010年>
【巨人】オビスポ ←→ 須永英輝、紺田敏正【日本ハム】
<2011年>
【巨人】金銭 ←→ 高橋信二【日本ハム】
<2013年>
【巨人】市川友也 ←→ 金銭【日本ハム】
<2015年>
【巨人】須永英輝、矢野謙次 ←→ 矢貫俊之、北篤【日本ハム】
<2016年>
【巨人】大累進 ←→ 乾真大【日本ハム】
<2016年>
【巨人】大田泰示、公文克彦 ←→ 吉川光夫、石川慎吾【日本ハム】