巨人V9を影で支えた男
かつて巨人で打撃コーチを務めた荒川博氏が12月4日、心不全のため亡くなった。86歳だった。
荒川氏と言えば、あの世界の本塁打王・王貞治に「一本足打法」を授けたことでお馴染み。以降は名コーチとして名を馳せた。
1959年、早稲田実業高から巨人に入団した王は投手だった。しかし、当時の監督であった水原茂氏に野手転向を命じられ、1年目から一塁手となる。
高卒1年目ながら開幕スタメンを勝ち取るなど、打者としての才能は随所に見せたが、まだまだ荒削りでムラがあり、主力打者とは言えなかった。
そんな中迎えた1961年のオフ、「王を長嶋に次ぐ打者に育てたい」と考えた川上哲治監督が招へいしたのが、荒川氏だった。これが大きな転機となり、猛特訓の末に世紀のホームランバッターが生まれたのだ。
その後の活躍と言うのは皆さんもご存知の通り。13年連続の本塁打王に、2年連続の三冠王。王がここまでの大打者にならなければ、巨人栄光のV9はなかったかもしれない。
この9連覇、率いた川上監督ばかりがクローズアップされるが、荒川コーチの力も大きかった。名監督の裏には、名コーチが必ずいる。いつの時もそうだった。
常勝チームの名コンビ
たとえば、常勝西武を率いた森祇晶監督。この時代に森監督を支えた参謀役といえば、黒江透修コーチだった。
黒江氏は巨人V9時代の遊撃手。現役時代には森“捕手”とともに、常勝巨人を支えた。そのコンビが西武で復活し、黄金時代を築いたわけだ。森監督は「作戦で迷ったら黒江コーチに聞いていた」と語ったほど。その信頼関係は強固だった。
同じ森でも、新たに中日の監督に就任した森繁和氏は、かつての落合竜で名参謀と呼ばれていた。
2004年に中日の監督になった落合博満氏を実に8年間に渡って支え続けた。ナンバー2として監督と選手の橋渡し役に徹し、監督を信頼して選手も信頼する。落合監督が本気で惚れ込んだ参謀だった。
ベンチにも注目!
また最近では、2015年のヤクルトが真中満監督1年目でセ・リーグ優勝を勝ち取った。何と言ってもすごかったのが、タイトルを独占した中軸トリオである。
【2015年・ヤクルトの打撃タイトル独占】
川端慎悟 首位打者(.336)、最多安打(195安打)
山田哲人 本塁打王(38本)、盗塁王(34個)、MVP
畠山和洋 打点王(105打点)
このように野手タイトルをヤクルト勢で総ナメ。仲良く分け合った形になった。
山田の三冠にも期待が高まったが、この結果は1人の選手が三冠王を取るよりも価値がある。なぜなら、相手投手は誰か1人だけではなく、3人をケアしなくてはならないからだ。常に気が抜けない状態となる。
このヤクルト打撃陣を支えたのが、杉村繁打撃コーチだった。前年の2014年から打撃コーチに就任すると、若手選手が立て続けに台頭。トスバッティングやフリーバッティングに独自理論を加えて工夫し、選手に考えさせる打撃指導がピタリとハマり、“打撃王国”を築き上げた。
名参謀がチームを支える。来年も新たな名コンビの誕生はあるのか。プレーする選手だけでなく、ベンチにも注目したい。