2015年のNPBは「3年目世代」に注目!
プロ野球界で何かと話題を集めている「3年目」の選手たち。
具体的に名前を挙げれば、大谷翔平(花巻東高→日本ハム)、藤波晋太郎(大阪桐蔭高→阪神)など、2012年秋のドラフトでプロ入りした世代である。大学卒の菅野智之(東海大→巨人)、小川泰弘(創価大→ヤクルト)、則本昂大(三重中京大→楽天)など、チームのエースとしての地位を確立している選手も多い。
きらめく「3年目世代」で注目のひとりが、田村龍弘(光星学院高[現・八戸学院光星高]→ロッテ)だ。現在、2年目の森友哉(西武)が「打てるキャッチャー」として大いに注目を集めているが(注:今季は指名打者での起用が多い)、1学年上の「打てるキャッチャー」といえば、田村である。
田村は、大阪府狭山市出身。1994年5月生まれの21歳。兄の影響により、小学1年で野球を始めた。最初のポジションはキャッチャー。6年時には大阪の名門クラブ・ジュニアホークスのエースとして、全国制覇を成し遂げている。
中学時代は硬式クラブ・オール狭山ボーイズ(ボーイズリーグ)に所属。川端慎吾(現・ヤクルト)らを輩出した強豪で、同学年には北條史也(現・阪神)がいた。早くから注目を集め、3年夏にはボーイズリーグ日本代表チームの一員として、イタリアで行われた世界少年野球大会に出場。初戦でホームランを放つなど、世界大会3位に貢献した。このときの登録は投手兼野手。当時の野球雑誌を振り返ると、「130キロを超えるストレートが武器の田村龍弘(オール狭山ボーイズ)」という記述がある。
中学卒業後は、チームメートの北條とともに大阪を離れ、青森県の光星学院高校へ。1年春からメンバー入りし、秋の東北大会では1試合3本塁打と大爆発。早くも強打をアピールした。甲子園には2年春、夏、3年春、夏の4回出場。2年夏、3年春、夏と3季連続準優勝を果たしたチームの中心にいた。
2年夏の甲子園は4番・サードで出場。その守備力を高く評価する声も高かったが、キャッチャーにコンバートされると即対応。2年秋くらいの評価では、「捕球から送球へ流れるような連動性の守備ワークは高校生離れしている」とあり、得意の打撃も「天才的なバットコントロール」「差し込まれてもバックスクリーン前まで押し返すヘッドスピード」と大絶賛されている。
2012年、3年春と夏の甲子園決勝では、藤浪晋太郎&森友哉がバッテリーを組む大阪桐蔭高校と対戦。史上初の「春夏同一カード決戦」で大阪桐蔭高に春夏連覇を許したが、春は3安打、夏は1安打を放って意地を見せた。夏の甲子園終了後には、U18世界選手権の日本代表に選出。北條、藤浪、森、大谷翔平、浜田達郎(愛工大名電高→中日)らと、「JAPAN」ユニホームで世界の舞台に立った。
里崎に弟子入りした2年目、正捕手争いに挑む3年目!
2012年秋のドラフトでは、ロッテが3位指名。北條の指名(阪神2位)から約30分後ということもあり、「心臓バクバクでした。夢を見ているような気分です」とコメント。球団ホームページには「打撃は超高校級。捕手としての経験は浅いが、将来的には中軸も打てる正捕手候補。高校ナンバーワン捕手」という、井辺康二スカウトのコメントが残っている。
1年目は二軍で53試合に出場し、打率.240。1軍では7試合に出場し、2安打1打点を記録した。2年目のキャンプイン前には、正捕手・里崎智也(2014年引退)に弟子入り。毎朝5時半起床で浦和の寮からQVCマリンフィールドに電車通勤し、練習を共にしたという。そこから一軍キャンプに帯同して、2年目は50試合出場。打率.156と打撃は振るわなかったが、守備での評価を上げた。
3年目の今季は、狙っていたという開幕スタメン。「過去に緊張した思い出がない」という強心臓が、吐き気がするほどの緊張を覚えたという。結果、打撃は無安打に終わったが、涌井秀章ら年上の投手を懸命にリード。王者・ソフトバンクに勝利した。その後もスタメンマスクを任される機会は多いが、「マリーンズの正捕手」というにはまだ早い。昨年は吉田裕太、今年は寺嶋寛大と、大学卒のキャッチャーが立て続けに入団してきた。吉田は1年目の昨季、田村と同じ1軍50試合出場、ほぼ同じ打数で打率.220。当面のライバルといえる存在である。
伊東勤監督は、西武黄金時代を支えた名捕手。誰よりも厳しい目を持つ指揮官の信頼を勝ち得ることはできるのか。そして、引退した師匠・里崎に恩返しすることはできるのか――。プロ野球における「3年目世代」を語るとき、ロッテ・田村龍弘の成長ぶりは、忘れずにチェックしておきたい。
文=平田美穂(ひらた・みほ)