「今までだったら、あそこの打席には立てなかった」
札幌ドームのお立ち台で矢野謙次はそう言った。
「絶対に代打を出されて代えられていたと思うんですけど、あそこでいかせてもらえて絶対に打ってやろうとマジで気合い入れていきました」
トレード移籍後3試合で早くも2度目のヒーローインタビュー。12日のDeNA戦で即「6番・指名打者」として先発出場すると、3本の二塁打を放つ猛打賞の活躍。試合後は「東京都出身、34歳です」という自己紹介から「ファイターズ最高!」の絶叫。さらに14日には3打席目に逆転の1号3ランアーチを放ち、出場機会に恵まれなかった巨人時代の鬱憤を晴らすかのような大活躍を見せている。
巨人ではずっと「代打の切り札」として活躍。それでも常に「俺は代打のプロフェッショナルになりたいわけじゃない。代打で数字を残してスタメンで出たいんです」と言い続けた矢野。甲子園のスターでも、六大学のエリートでもない。ドラフト下位入団の叩き上げ。生き残る為には、下から一歩ずつ這い上がっていくしかなかった。
日本ハムの公式サイトによると、プロ通算代打出場成績は300打数96安打の打率.320、本塁打は9本。一発勝負の代打で成功率3割越えは本当に凄い。
だが、それよりも凄いのは「300回以上代打で立ち続けた」という事実だ。言っちゃ何だが、なんて諦めの悪い男なんだろう。代打で結果を残してレギュラーへ。終わりなき挑戦。巨人一筋で過ごした13年間、彼はずっとその闘いを続けて来た。「監督、オレを使ってくれ」と願いながら。
気が付けば、9月で35歳だ。彼は時間を無駄にしたのか?そんなことはないだろう。14日の決勝3ランは、DeNA平田が投じた初球の131キロのスライダーを強振してレフトスタンドまで運んだ。1球にすべてを懸けた代打人生で培った集中力と思い切りの良さの賜物だった。
打席であれこれ迷っている暇などない。なぜなら、オレには1打席しかないのだから。スタメン出場しても、まるで代打のようなバッティングスタイル。大型補強がなかったら…度重なる故障がなければ…。多くのタラレバを抱えながら、矢野はピンチヒッターとして打席に立ち続けた。
新天地でその悔しさを叩きつけるかのような劇的な一発。無駄じゃなかった。あの300回の代打経験は無駄じゃなかったんだ。
矢野謙次、13年目の移籍。巨人生活からの卒業――。そして、それは「代打の切り札」からの卒業である。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)