本当に難しい捕手の「育成」
球史に残る名捕手であり、名監督の野村克也が口癖のように言う言葉に「優勝チームには名捕手あり」というものがある。
V9時代の巨人には森昌彦、80~90年代の西武には伊東勤、80年代の広島には達川光男、90年代ヤクルトの古田敦也やダイエー、ソフトバンクの城島健司など、たしかに強かったチームには名捕手が存在した。
04年以降でセ・リーグを4度制し、07年にはレギュラーシーズン2位からの日本一、10・11年は球団史上初の連覇を果たすなど、黄金時代を築いた中日にも谷繁元信という名捕手がいた。
しかし、名捕手のいたチームが苦労するのは、その選手が衰えたときやチームを去った“後”である。他のポジションと比べ経験が要されるゆえ、次世代の選手を育てにくいのだ。
14年から監督兼任となった谷繁は、自身の後継者の育成も託され、昨季の中日は6人の捕手が一軍で出場。そのうち赤田龍一郎をのぞく5人がスタメンで出場したが、最多は谷繁の81試合。松井雅人が40試合、シーズン途中に西武から獲得した武山真吾が16試合、小田幸平が6試合、田中大輔が1試合でスタメンマスクをかぶったが、後継者を確立するまでにはまるで至らなかった。
谷繁監督兼選手が褒めたたえた超ファインプレー
今季は谷繁の調整が遅れ、シーズン初スタメンが4月30日。前半戦終了時で谷繁のスタメンは11試合に止まっている。
41試合でスタメンマスクをかぶった松井雅人はキャッチングこそ向上したものの、打率は.135と低迷。15試合でスタメン出場した杉山翔大は、攻守においてまだ一軍レベルとは言えない状態だ。
今季も中日は捕手を育成できないのかと思われたが、ここにきて一気に台頭してきたのが桂依央利だ。2013年のドラフト3位で中日に入団した桂には即戦力の期待もあったが、プロ1年目は送球難に陥り一軍出場はならなかった。
迎えた2年目の今季は、開幕一軍こそならなかったものの、4月21日のヤクルト戦で成瀬善久からプロ初安打を本塁打で飾る。その後、一時は二軍に落ちたが、6月下旬に一軍復帰を果たした。
7月9日の阪神戦では、延長11回裏に球団史上初のサヨナラ捕逸。桂が要求したコースとは反対にきた球だったが、不名誉な記録を残してしまった。
しかし、それから3日後の広島戦で、9回の守備から出場した桂は見事な活躍を見せる。両チーム無得点で迎えた12回表、二死三塁のピンチで、制球が定まらない福谷浩司は田中広輔への初球がまたしても逆球、しかも今回はワンバウンドになった。それを素早い反応で止めると、3ボールから敬遠気味に外した球がワンバウンドになったのも再び止めて見せた。
後ろにそらせば致命的な点を許したという場面で、見事なキャッチングを見せたのだ。その裏には、引き分けまであと1アウトの場面でセンター前ヒットを放ち出塁。つづく藤井淳志のサヨナラ本塁打につなげた。
試合後のインタビューで、ふだんはキャッチャーに厳しい谷繁監督兼選手が「12回の表、自分がキャッチャーだったら後ろにそらしているんじゃないかというワンバウンドを止めた。超ファインプレーです」と、桂を褒めたたえた。
ベンチでは、コーチや監督からしょっちゅうアドバイスを受けている桂が、聞くだけではなく一言、二言質問する場面をよく目にする。桂は、そこでアドバイスを一方通行で聞くだけではなく、会話のキャッチボールをしながら教えを吸収しようとしているように見える。
まだまだ打数は少ないものの打率も.289と高く、次世代の捕手争いで桂が一歩リードしたように感じるが、もちろん“完全なレギュラー”と呼ぶにはまだ早いだろう。キャッチングやリードも含め、まだまだ課題は多い。とはいえ、桂という捕手に大きな可能性を感じるのは間違いない。
前半戦を終え、中日は38勝46敗2分で最下位だが、首位のDeNAとは4ゲーム差とAクラスどころか優勝もまだ狙える位置につけている。中日が、3年連続Bクラスに終わったのは長い歴史の中でも過去に1度しかない。
逆襲を誓う後半戦で、桂はポスト谷繁の座をつかむためにどれだけの経験を積めるだろうか。
文=京都純典(みやこ・すみのり)