「キレがあってコクがある」どこかのビール会社のCMではない。日本シリーズの話だ。西武・森祇晶とヤクルト・野村克也。球界随一の知将が初めて大舞台で対決したのは92年のこと。現役時代は共に名捕手として鳴らした両雄だが歩んできた環境は大きく違う。森はV9巨人の要として、広岡監督のもとヤクルト、西武のヘッドコーチとして、さらに西武監督に就任してからも常に栄光を手に入れてきた。
これに対して現役時代の実績なら森に勝る野村だが南海(現ソフトバンクの前身)のプレーイングマネージャー後は、ロッテ、西武と渡り歩いて寂しく現役引退。ようやく、手に入れたヤクルト指揮官の座も当初は弱小球団ならではの苦労が絶えなかった。ここから選手としての心構え、戦う集団として何をなすべきか?場面に応じた投手心理に打者心理。データを駆使した確率論までいわゆる「ID野球」を掲げ、選手は「野村ノート」を頭に叩き込んでゲームに臨んだ。後年にも野村は低迷する阪神や誕生まもない楽天と言った未熟なチームの強化に貢献する。巨大戦力を間違いなく勝者に導いてきた森が能吏なら野村は再建屋だった。
「俺は中小企業の社長。森は大企業の中間管理職」シリーズ前に野村が二人の特徴をこう表現した。当たらずと言えども遠からず。実はこの両者は現役時代に森が野村の自宅に泊まって、阪急(現オリックス)らのシリーズ出場チームの情報を手に入れていたこともある。親友にしてライバル。球史に残る頭脳戦は捕手出身監督同士ならではのキレもコクもある大熱戦となった。
西武には秋山、清原、デストラーデ、石毛らの野手陣に渡辺、工藤、郭らの強力投手陣。まさに黄金時代だった。対するヤクルトは池山、広沢、古田らが打線を引っ張り岡林、荒木、高津らの投手陣は伸び盛りの勢いがあった。
誰もが西武有利と予想したシリーズは初戦こそヤクルトが杉浦の延長12回代打サヨナラ満塁本塁打の離れ業で決着をつけたが2戦以降は西武が3連勝。あっという間に王手をかけた。しかし、ここから勝負はもつれにもつれる。
第5戦。一時はヤクルトが6点をリードも西武が追い上げて7回にデストラーデの一発で追いつき延長戦に突入。この薄氷戦をヤクルト・池山の決勝アーチでモノにすると、神宮に場所を移した第6戦も西武が9回二死から秋山の一打で追いつき再び延長戦。これも秦のサヨナラ本塁打でけりをつけて剣が峰からヤクルトが息を吹き返した。
運命の最終決戦。この試合もまた延長戦にもつれこんだ。3戦連続の延長戦はもちろん史上初。一発によるド派手な決着が目につくが、その途中過程では強固な守備、隙のない走塁に加えて、小刻みな継投策や戦力のはぎ合いなど森と野村の秘術を尽くした戦いが展開された。
どちらに転んでもおかしくない勝負を分けたのは延長10回西武・秋山の中犠飛だ。この場面をもう少し振り返ると、秋山の次打者は途中交代で奈良原が起用されていた。どう考えても秋山を避けて(小兵で長打力のない)奈良原勝負が妥当だろうがヤクルトはそうはしなかった。91年から3連覇を成し遂げた森は「これだけ疲れたシリーズはない」としながら最大の勝因にこのシリーズのエース格として活躍した石井丈裕の起用法をあげている。第3戦の先発からもつれた展開を想定して中4日での登板。短期決戦でも3敗までは出来る、というち密な計算と豊富な戦力が野村ヤクルトとのわずかな差となった。翌93年も同一カードのシリーズとなったが、今度はヤクルトが4勝3敗で雪辱。野球通には忘れられない狐と狸の激戦だった。
<3連続延長のスコア>
第5戦
ヤ|000 321 000 1|7
西|000 005 100 0|6
勝:伊東
敗:潮崎
第6戦
西|010 203 001 0 |7
ヤ|002 201 200 1x |8
勝:伊東
敗:潮崎
第7戦
西|000 000 100 1|2
ヤ|000 100 000 0|1
勝:石井丈
敗:岡林
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
これに対して現役時代の実績なら森に勝る野村だが南海(現ソフトバンクの前身)のプレーイングマネージャー後は、ロッテ、西武と渡り歩いて寂しく現役引退。ようやく、手に入れたヤクルト指揮官の座も当初は弱小球団ならではの苦労が絶えなかった。ここから選手としての心構え、戦う集団として何をなすべきか?場面に応じた投手心理に打者心理。データを駆使した確率論までいわゆる「ID野球」を掲げ、選手は「野村ノート」を頭に叩き込んでゲームに臨んだ。後年にも野村は低迷する阪神や誕生まもない楽天と言った未熟なチームの強化に貢献する。巨大戦力を間違いなく勝者に導いてきた森が能吏なら野村は再建屋だった。
「俺は中小企業の社長。森は大企業の中間管理職」シリーズ前に野村が二人の特徴をこう表現した。当たらずと言えども遠からず。実はこの両者は現役時代に森が野村の自宅に泊まって、阪急(現オリックス)らのシリーズ出場チームの情報を手に入れていたこともある。親友にしてライバル。球史に残る頭脳戦は捕手出身監督同士ならではのキレもコクもある大熱戦となった。
西武には秋山、清原、デストラーデ、石毛らの野手陣に渡辺、工藤、郭らの強力投手陣。まさに黄金時代だった。対するヤクルトは池山、広沢、古田らが打線を引っ張り岡林、荒木、高津らの投手陣は伸び盛りの勢いがあった。
誰もが西武有利と予想したシリーズは初戦こそヤクルトが杉浦の延長12回代打サヨナラ満塁本塁打の離れ業で決着をつけたが2戦以降は西武が3連勝。あっという間に王手をかけた。しかし、ここから勝負はもつれにもつれる。
第5戦。一時はヤクルトが6点をリードも西武が追い上げて7回にデストラーデの一発で追いつき延長戦に突入。この薄氷戦をヤクルト・池山の決勝アーチでモノにすると、神宮に場所を移した第6戦も西武が9回二死から秋山の一打で追いつき再び延長戦。これも秦のサヨナラ本塁打でけりをつけて剣が峰からヤクルトが息を吹き返した。
運命の最終決戦。この試合もまた延長戦にもつれこんだ。3戦連続の延長戦はもちろん史上初。一発によるド派手な決着が目につくが、その途中過程では強固な守備、隙のない走塁に加えて、小刻みな継投策や戦力のはぎ合いなど森と野村の秘術を尽くした戦いが展開された。
どちらに転んでもおかしくない勝負を分けたのは延長10回西武・秋山の中犠飛だ。この場面をもう少し振り返ると、秋山の次打者は途中交代で奈良原が起用されていた。どう考えても秋山を避けて(小兵で長打力のない)奈良原勝負が妥当だろうがヤクルトはそうはしなかった。91年から3連覇を成し遂げた森は「これだけ疲れたシリーズはない」としながら最大の勝因にこのシリーズのエース格として活躍した石井丈裕の起用法をあげている。第3戦の先発からもつれた展開を想定して中4日での登板。短期決戦でも3敗までは出来る、というち密な計算と豊富な戦力が野村ヤクルトとのわずかな差となった。翌93年も同一カードのシリーズとなったが、今度はヤクルトが4勝3敗で雪辱。野球通には忘れられない狐と狸の激戦だった。
<3連続延長のスコア>
第5戦
ヤ|000 321 000 1|7
西|000 005 100 0|6
勝:伊東
敗:潮崎
第6戦
西|010 203 001 0 |7
ヤ|002 201 200 1x |8
勝:伊東
敗:潮崎
第7戦
西|000 000 100 1|2
ヤ|000 100 000 0|1
勝:石井丈
敗:岡林
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)