コラム

江夏の21球 日本シリーズベスト選(1)-元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

 プロ野球が2リーグ分立後に始まった日本選手権(日本シリーズ)は今年で65回を数える。幾多の名勝負の中から記憶にも記録にも残る試合を自分なりに選んでみた。第1回は1979年の広島対近鉄戦、後に「江夏の21球」と語り継がれるシリーズ最高試合のひとつである。

 今や伝説の投手となった江夏豊には二つの絶頂期がある。ひとつは67年阪神入団から約7年間に及ぶ剛腕時代だ。高校を出て2年目にはバッタバッタと三振の山を築きシーズン401奪三振。さらに71年の球宴では並みいるパリーグの強者相手に9者連続三振を奪う。それから二年後の中日戦では延長11回のノーヒットノーランを自身のサヨナラホームランで決める離れ業。これらの記録は45年近くたった今でも破られることのない不滅の金字塔だ。二つ目のピークは円熟の技巧派として変身を遂げたもの。阪神の晩年に血行障害と心臓疾患に悩まされた原因は肩、ひじ痛を軽減するために飲んでいた薬の副作用だったと言われる。とにもかくにも、自慢の快速球は投げられなくなり投手生命の危機と同時に南海(現ソフトバンクの前身)への移籍が決まった。

 元々がお山の大将。先発完投を使命としてきた男は当時の監督・野村克也の度重なる説得で渋々、ストッパー転向を呑むことになる。だが、この変身がさらに広島移籍後の日本シリーズ「江夏の21球」につながっていく。

 決戦の流れは「内弁慶シリーズ」と揶揄されるほど本拠地チームが有利に推移していった。近鉄(現オリックスに吸収統合)がホームで連勝すれば広島がわが家に戻ると接戦をいずれも制して3連勝。再び大阪に戻った第6戦は近鉄が意地を見せてタイに持ち込む。ここまですべてホームチームが勝利、加えて逆王手をかけた方に勢いもあった。

 運命の第7戦。常に広島が先手を取りながら近鉄も粘って4対3。接戦のまま迎えた最終回の裏にとんでもないドラマが待ち受けていた。百戦錬磨の最強ストッパー・江夏に対して無死から羽田が中前打。ここで近鉄監督の西本幸雄が勝負に出る。代走に起用された藤瀬がすかさず二盗を試みると、さらに捕手・水沼の悪送球を誘い三塁へ。続くアーノルドも四球で出塁すると今度は代走の吹石も盗塁。満塁策を取るしかなくなった広島ベンチは平野を歩かせて絶体絶命の場面を迎えた。
 誰もが近鉄のサヨナラ日本一を思い浮かべた。その直後から奇跡の幕が開く。代打の佐々木が空振りの三振に倒れるもまだ1死満塁。ここで西本が石渡に出したサインはスクイズだ。ところが江夏―水沼のバッテリーはこれを見抜いて外角高めにウエストするとバットは届かず、飛びだした三走の藤瀬が三本間で憤死。勢いを吹き返した江夏は石渡を三振に斬って取り死の淵から甦った。直後に赤ヘル指揮官・古葉竹識の胴上げが始まった。

 天国と地獄が交錯した瞬間。江夏は三走・藤瀬の動きと石渡の仕草を瞬時に察知している。後に西武でバッテリーを組んだ伊東勤は走者の動きを見ることなく、サインもないままスクイズを外す江夏の神業に舌を巻いたことがある。先発で206勝。救援で193セーブを記録した男が土壇場で見せた危機脱出術。翌80年も同一カードのシリーズとなったがこれも4勝3敗で赤ヘル連覇。大毎、阪急、近鉄の監督として計8度のシリーズにすべて敗れた西本は「悲運の名将」と呼ばれた。
 

<参考> 第7戦のランニングスコア

広島|101 002 000|4
近鉄|000 021 000|3
勝:山根
S:江夏
敗:柳田

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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