背番号24のスーパースター
隣も前の席も「背番号24」のユニフォーム姿。
23日、東京ドームで行われたジャイアンツファンフェスタで選手・高橋由伸が最後の日を迎えた。超満員の4万5778人の観客に向けて「楽しかったことよりも、重圧を感じ苦しかったことの方が多かったように思えます。だからこそ、達成できたことの喜びは大きく18年間頑張ることができました」と最後の最後で天才バッターが漏らした本音。
巨人で個人の選手がこれだけの規模の引退セレモニーをするのは20年ぶりのことだ。1995年10月8日、場所は同じく東京ドーム。当時37歳の原辰徳は「私の夢には続きがあります」と大観衆の前で宣言してみせた。そして由伸はその原のあとを引き継ぎ、巨人軍監督に就任する。
今回、20代や10代の巨人ファンからしたら、初めて体験するリアルタイムの引退セレモニーではないだろうか。父親世代はV9時代の長嶋・王に夢中になり、70年代生まれは若大将・原を追いかけて、80年代や90年代生まれはゴジラ松井や由伸に憧れた。全員でバトンを繋ぎ、40年近く地上波ゴールデンタイムのど真ん中で主役を張り続けた男たち。年間百数十試合、視聴率20%近く稼ぐ全国放送の番組に毎晩主役を張り続けるアスリートなんて今はもう誰もいない。
プレミア12の視聴率20%超えで話題になる野球界だが、由伸が入団した98年の巨人戦年間平均視聴率は19.7%。3割・30本塁打をクリアした翌99年は20.3%だ。94年生まれの大谷翔平(日本ハム)や95年生まれの松井裕樹(楽天)が、子どもの頃の憧れだったと公言する背番号24。彼らは幼い頃、岩手や神奈川でテレビを通じて同じ風景を共有していたわけだ。
引退セレモニーで流れた高橋由伸のキャリアを振り返る特別映像の上映中、東京ドームの客席の至る所からワンシーンごとに「あぁこれ覚えてる」という声が聞こえてきた。ネットでもスマホでもなくテレビを通じ、何千万人もの人々が一緒になって一喜一憂し感情をワリカンしていたあの頃のプロ野球選手。日常の風景としてニッポンのお茶の間にナイター中継が存在していた時代のヒーロー。高橋由伸は、間違いなく地上波中継最後のスーパースターだった。
2015年秋、巨人は名将・原辰徳がグラウンドを去り、天才バッター由伸も現役を退いた。ともに長年チームを支え続けた阿部慎之助も来年3月には37歳になる。昨日の引退セレモニーではベンチの前に乗り出して食い入るようにオーロラビジョンの映像を見つめる若手選手たちの姿。時間は容赦なく進み、新しい時代がやってくる。高橋新監督の仕事はもちろん勝てるチームを作ること、そしてもうひとつ。自身の背番号24を継承できるようなスター選手を育てることだろう。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)