「1番・投手」からの野手転向
研鑽された技術のぶつかり合いである勝負から離れた時に放たれた野球選手の“ことば”——。その発言に注目すると彼らの別の一面が見えてくる。
今回は今年引退を決めた東出輝裕(広島)の“ことば”に迫ってみる。
「半分冗談、半分本気ですけど、マエケンや黒田さんを見ていると、真剣にピッチャーがやりたかった」
2015年10月10日、東出が引退会見でやり残したこととして、発した言葉だ。
東出は敦賀気比高・2年時に夏の甲子園でベスト8入り、3年では春夏連続甲子園出場も果たしている。2年時は「1番・二塁」であったが、3年になってからは「1番・投手」でキャプテン。だが、投手としては春に3回戦負け、夏は1回戦負けと結果を残せなかった。
特に春の3回戦は、後に横浜高と延長17回を戦うPL学園に敗れている。横浜高の投手は同世代の怪物・松坂大輔。東出の目にはこの死闘はどう映ったのだろうか。
投手としては悔しさを残したものの、打つ方では高校通算打率.464、34本塁打と結果を残した東出。打つだけでなく内野の守備力、俊足も評価され、ドラフトでは広島カープに野手として1位指名される。
実は冒頭の発言には「この身長では難しいのは分かっていますが」という部分が省略されている。プロ野球界で投手の平均身長は野手に勝っている。
身長171cm。プロとしては小柄な部類に入る東出は、どこかで限界を感じていたのだろう。それでも彼は、野球の花形である投手という存在に挑戦してみたかったのだ。
同世代最速で1000本安打に達成も、苦しんだ大ケガ
プロ入り後のルーキーイヤーは、主にセカンドで78試合の一軍出場。2年目にはショートへのコンバートも経験した。
「最初は使ってもらっているだけで、自分が一軍の試合に出ていいという自信が無かった」と会見でも語っていたが、守備範囲が広いために失策数が多く、ファンから厳しいヤジを投げかけられることもあった。
2002年から2005年はケガで離脱し、出場試合数も伸び悩む。だが、セカンドに再コンバートされた2006年には規定打席へ到達し、2007年、2008年と連続してベストナインを獲得するなど、不動のレギュラーとなった。男は2009年に、同世代の村田修一(巨人/大卒)よりも早く1000本安打を達成している。
しかし、2013年の開幕前にアクシデントが襲う。紅白戦で左膝前十字靭帯断裂という選手生命に関わるケガを負ってしまうのだ。
二軍では実戦に復帰するも、3年間一軍出場は叶わず。今シーズンからは二軍野手コーチ補佐も兼任し、練習時には自ら打撃投手を務めることもあった。引退後の来シーズンは、一軍の打撃コーチとして指導に当たる。
ドラフト1位の野手として1366安打と十分な成績を残した東出…。その心の底にあったほんの少しの後悔の言葉。栄光を浴び続けたアスリートであっても、市井の人のように羨みの気持ちを持つ時はあるのだ。
投手と野手の気持ち、さらに小柄ながらも苦しんでつかみ取ったレギュラーを知る男に、一流のコーチングを期待したい。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)