四国アイランドリーグから這い上がった苦労人
今季、14年ぶりのリーグ制覇を果たしたヤクルト。流行語大賞にもなった「トリプルスリー」を達成した山田哲人が史上最速タイで年俸2億円に到達するなど、契約更改でも明るい話題が続いている。
プロ8年目のシーズンを終えた三輪正義もまた、年俸アップで契約更改を終えたひとりだ。主に途中出場ながら一軍に定着し、自己最多の87試合出場、打率.233。代走や守備固めでの貢献が認められ、球団から受けた評価は400万円増の2000万円(推定)。会見では「(球団から)よくやったと言ってもらいました。ずっと一軍にいたということは、戦力ということですから」と笑顔を浮かべた。
三輪は1984年1月生まれの31歳、1983年生まれと同学年ということになる。山口県下関市出身で、下関市立文洋中学校時代は硬式クラブ「下関ボーイズ」に所属していた。同チーム出身でプロになったのは、三輪が初めて。今年のドラフトでソフトバンクに育成2位指名された児玉龍也(神奈川大)が、プロの世界に飛び込むふたり目の卒団生ということになる。
中学卒業後は、山口県立下関中央工業高校に進学。3年夏の県大会は準優勝と、甲子園にはあと一歩、届かなかった。2001年秋のドラフト。高校生の目玉は、甲子園で150キロ超のストレートを披露した寺原隼人(日南学園高→ソフトバンク)、チームの不祥事で夏の予選は出場辞退となったものの、中学時代から怪物といわれていた今江敏晃(PL学園高→ロッテ)などだった。
三輪が選んだ進路は、地元の山口産業への就職。ガソリンスタンドでの勤務もこなしながら、軟式野球に取り組んだ。しかし、硬式野球に対する未練を断ち切ることができず、3年勤めた後、2005年から四国アイランドリーグ(IL)に加入。香川オリーブガイナーズの一員として、プロをめざす道を歩み始めた。
3年間在籍した四国ILでは、2006年に最多犠打、2007年には盗塁王を獲得。168センチと小柄ながらバネを感じさせる動き、50メートル走5秒台の俊足、正確な守備ワークが光っていた。さらに、遊撃守備につく際は、ベンチから二塁ベース後方まで全力疾走。脚力とやる気を猛アピールし続けた。
2007年秋のドラフトは、高校生と大学・社会人に分けて開催。10月の高校生ドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭高→日本ハム)、佐藤由規(仙台育英高→ヤクルト=来季より育成)、唐川侑己(成田高→ロッテ)の「高校生Big3」に話題が集中。約1カ月半後に行われた大学・社会人ドラフトで、三輪はヤクルトの6巡目指名を受けた。その年、四国ILからは唯一の指名だった。
「ひとつのプレー」でチームの勝利に貢献する!
プロ1年目は一軍出場なし。それでも、野球に専念できる環境に感謝を惜しまなかった。当時、プロとしての実感を問われると「練習を終えて寮に帰れば、いつも夕飯が用意されていて腹いっぱい食べられること。ありがたいです」と答えている。四国IL時代は「定食に50円の生卵をつけるかどうかで悩んでいた」という。
2年目の2009年に一軍デビューを果たすも、主に二軍でプレー。イースタンリーグ盗塁王、出塁率1位、打率.321(3位)という成績だった。ちなみに、この年のイースタンリーグで本塁打と打点の二冠王に輝いたのは、当時20歳の中田翔である。
4年目の2011年から、代走、守備固めとして出場機会を増やしていく。7年目となる2014年は出場試合数が前年から半減したが、今季は盛り返し、自己最多の87試合出場。代走や守備固めとして起用されながら、打順が回ってくればタイムリーを放つなど、打撃面でも勝利に貢献した。
12月初旬に行われた契約更改後の記者会見。来季の目標を問われると、三輪はこう答えた。
「ぼくはレギュラーじゃないので、数字は決められないです。ヒットも盗塁も試合数も積み重ね。一瞬一瞬をしっかりやって、積み重ねていければいいと思っています」
代走や守備固めという、試合の中の「ひとつのプレー」で生きている選手の矜持を感じさせる言葉である。リーグ連覇、そして、かなわなかった日本一をめざす来シーズン。ユーティリティープレーヤー・三輪正義の存在意義は、ますます大きくなっていくことだろう。
文=平田美穂(ひらた・みほ)