巨人に入団し新人王を獲得した逸材
研鑽された技術のぶつかり合いである勝負。そこから離れた時に放たれた野球選手の“ことば”――。発言に注目すると彼らの別の一面が見えてくる。
木佐貫洋(日本ハム)引退会見での“ことば”を拾ってみた。
「これまでは野球の一本道で走ってきました。これからはレールが何本かに分かれてくると思います」
2015年9月30日、最終登板となる試合前の会見で木佐貫はそう答えた。
木佐貫が通っていたのは鹿児島県立・川内高校という公立の進学校。「地元で強豪・鹿児島実業高校を倒したい」という思いで進学を決めた。だが、最後の夏の県大会決勝では、鹿児島実業高校の杉内俊哉(現巨人)に3-1というスコアで敗れ、甲子園出場はならなかった。すでにプロ注目の投手であった木佐貫は亜細亜大学に進学し、2002年自由獲得枠で巨人に入団することとなる。
巨人では新人ながらも先発を任され、10勝7敗で新人王を獲得。2年目に7勝するも、翌2005年に右肩甲骨下の手術を行い球速が落ちてしまった。その手術の影響もあり、2006年は未勝利もフォーム改造に取り組み、2007年には自己最高の成績となる12勝を挙げる。続く2008年は6勝、2009年は1登板の0勝。木佐貫の実直な性格からして手を抜くことは考えられない。ただ、どうしても好調をキープできなかった。
転機は2009年のシーズンオフのトレードだった。オリックスに移籍した2010年は、3年ぶりの二桁勝利を達成する。だが、開幕投手を務めた2011年は2勝、2012年は5勝に終わる。打線の援護、思わぬケガなどの要素があるが、ここでも木佐貫は踏ん張り切れなかった。
夢は、北海道を鉄道で北上すること
2013年、今度は日本ハムにトレードされる。この年は9勝と活躍するが、2014年は1勝、2015年はファーム暮らしが続き、戦力構想から外れていることを伝えられる。最終登板では1イニングを2奪三振、無安打無失点に抑え、惜しまれつつの引退となった。
さて、冒頭の言葉に戻ろう。実は木佐貫の趣味は“鉄道”である。記者の「これまでの野球人生を列車の旅に例えると?」という質問を受け、答えたものだ。北海道版の日刊スポーツには『乗り鉄・木佐貫の北海道夢列車』という連載もあった。内容は路線図を眺めながら空想で旅をするというもの。2004年に九州新幹線が一部開通した際は、地元川内駅で一日駅長を務めたこともある。
引退会見で彼が語った夢は、「旭川から名寄、稚内を鉄道で北上すること」であった。だが、その後、巨人軍のスカウトに転身することが発表された。スカウトとしての活躍も期待したいが、分かれたレールの先にある“乗り鉄”としての夢もいつの日かぜひ叶えてほしい。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)