セーブ王に3度輝くも…近年は故障に泣く
小さな巨人。身長170センチと小さな体をフルに使い、広いストライドで左足を踏み込む。そして低いリリースポイントから放たれたボールで相手バッターと対峙する。日本ハム・武田久のその熱のこもったピッチングに多くの日本ハムファンが酔いしれた。そんな武田が窮地にいる。
日本通運から02年のドラフト4位で日本ハムに入団。その名がプロ野球ファンに広まったのはプロ4年目の06年、守護神・MICHEAL(マイケル中村)につなぐ勝ちゲームのセットアッパーとして台頭する。
球団記録となる75試合に登板し44年ぶりの日本一に大きく貢献。45ホールドポイントを挙げ最優秀中継ぎ投手を受賞した。以降、07年は64試合、翌08年も62試合に登板と日本ハム救援陣の屋台骨を支えていく。
MICHEALが巨人へ移籍した09年にはクローザーに転向。34セーブでセーブ王を獲得し、チームも2年ぶりのリーグ優勝を果たす。さらに11、12年と2年連続でセーブ王を受賞。パ・リーグを代表する守護神としてその地位を確立した。
順調にプロ野球選手としてキャリアを重ねてきた武田久。しかし、14年になると一転する。開幕直後からリリーフ失敗が続くと、なかなか本来の投球が戻らないもどかしい日々が続く。
この年は登録抹消と再登録を繰り返し、わずか9試合の登板に終わる。守護神の座も駒沢大の後輩・増井浩俊に奪われてしまった。オフの契約更改では年俸2億4000万円から1億6000万円ダウンの8000万円と大幅ダウンとなる。
さらに武田久の苦難は続いた。昨年は3月に左ひざ、8月に右ひざを手術した影響でプロ入り初めて一軍登板なしという不本意なシーズンに。年俸もさらに減り1800万円。わずか2年で年俸が13分の1となる厳しさを味わった。
今年でプロ14年目、現在37歳の武田久の姿に「武田久はもう終わりでは…」という声も出ている。2度の大減俸を経て、もし今年結果を出せなければ現役引退の危機を迎える。
それでも武田久はしっかりと前を見据える。自主トレでは右ひざのリハビリをしっかりと行い、来るべき復活のマウンドに向けて着々と階段を上がっている。