引っ張るのではなく、周りが自然とついてくる
2016年、巨人の第18代監督に就任した高橋由伸。ルーキーイヤーの1998年から巨人の主力選手として活躍し、将来の監督候補として早くから注目されてきたが、40歳の若さで栄光の巨人軍を率いることになるとは、誰もが想像していなかったことだろう。
2リーグ制となった1950年以降、巨人の監督はいずれも生え抜き選手が務めてきた。ただし、高橋新監督はその中で初めての外野手出身監督となる。どんな手腕を振るうのか、今から楽しみだ。
桐蔭学園高(神奈川)から慶応義塾大という、いわゆる“エリートコース”を突き進んできた男であるが、「みんなを引っ張っていくタイプじゃない」と主将を断るなど、もともとは指導者タイプの人間ではなかった。
だが、本人が断っても周囲が推す。「俺が、俺が」というタイプではなく、周りに認められるリーダーの代表格。それが高橋由伸なのだ。
では、なぜ高橋由伸は認められるのか。一言で言えば、人柄だろう。
大学時代には、こんなエピソードが残っている。当時のいわゆる体育会系のタテ社会といえば、「上級生は下級生を奴隷のように扱ってもいい」という不文律の規則が横行。1学年違っただけでまるで王様と奴隷のような関係であり、「それが伝統ならしかたない」というようにあきらめる部員も多かった。
だが、上級生になった高橋は、それらをすべて撤廃。風通しの良い上下関係を作り上げた。後輩の野球部員は「由伸さんがいたから、何人の野球部員が辞めなくてすんだ。神様のような人ですよ」と語る。
厳しい上下関係に耐えられずに野球を続けられなくなったという選手は、慶大に限らずたくさんいた。
野球界の損失…そこまで思っていたかどうかはわからないが、よくない風習はやめようという感覚は持っていたのではないか。そして、それこそ高橋が後輩から支持を受ける最も大きな理由だろう。
決して順風満帆ではなかった現役時代
高橋由伸という人間が認められる要因として、もう一つ。それは、不運のプロ野球人生にも前向きに取り組んだことだろう。
東京六大学で通算23本塁打を放ち、リーグの新記録を樹立。鳴り物入りで巨人に入団した。
1年目の1998年から打ちまくり、いきなり打率.300、19本塁打、75打点と大暴れ。1年目からゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備でも大活躍した。
新人王は当確と思われたが、この年のセ・リーグ新人王を獲得したのは、中日の川上憲伸だった。14勝6敗は文句なしの成績だっただけに、高橋にとって不運としかいいようがなかった。
そして、2007年。5年ぶりのリーグ優勝を決め、高橋は打率.308、35本塁打、88打点と大活躍。MVPの有力候補に挙がった。
ところが、MVPを獲得したのは、打率.313、31本塁打、88打点の好成績を収めた小笠原道大が受賞。日本ハムから加入1年目でこれだけの成績を残したことが認められたのだが、ここでも高橋は運に恵まれなかった。
このように、タイトルや各賞に不思議と縁がない高橋だが、「ぼくは個人の成績より、チームの成績が一番。チームが勝てばそれでいい」と言う。
また、チームのアウト一つを取るために、フェンスに激突しながら好捕するというシーンが何度もあった。
その結果、骨折や腰痛になったこともしばしば。度重なる負傷は個人成績が伸びなかった大きな原因の一つにもなったが、本人は愚痴一つこぼさず、チームのために体を張ってプレーし続けた。
2003年には11打数連続安打、2007年には先頭打者本塁打シーズン9本と2つの日本記録を樹立。記憶に残るレコードが、巨人ファンの胸に刻まれた。
これからの注目は、監督として一体どんな采配をするのか…。現役選手に近い分、なれ合い集団になってしまう不安も、もちろんある。だが、人柄は誰もが認めるところ。球界きっての天才肌は、昨年優勝を逃したチームをどう立て直すのか。いまから楽しみだ。