現役生活は7年も…
現役時代はわずか7年の短命選手。規定打席に達したのはたった1度だけ。そもそも、84年にヤクルトにドラフト外で入団した国立の東京学芸大学出身という異色中の異色選手。それが栗山監督。長い日本プロ野球の歴史の中で、国立大学出身、大学教授の肩書きを持つ監督は栗山監督、ただ一人だ。
90年に現役を引退。それから22年経過した12年、日本ハムの監督に就任した。20年以上の充電期間中、テレビ解説、スポーツ新聞の評論などメディアで取材をする中、白鴎大学で教授にまで上り詰めた。卓越した理論は折り紙付き。だが、理論よりも栗山監督は、「常識にとらわれない野球」を目指し、ここまで日本ハムを盛り上げてきた。
多くの評論家が反対した大谷の“二刀流”を貫かせた栗山監督
特に、分業化がはっきりしてきた現代野球では、「どちらかにはっきり特化した方が本人のため」という意見が多く、栗山監督に決断を迫る世論が大勢をしめた。球界のご意見番、野村克也氏は、この大谷の二刀流について「二刀流? ふざけんじゃない。わしは打者だけの一刀流でもたいへんだったのに。野球をなめないでいただきたい」。多くの野球評論家の意見だった。
だが、栗山監督は、かたくなだった。世論の声には耳を貸さず、大谷の二刀流を後押しした。春季キャンプでは、投手と野手、両方の練習メニューを課し、世間はもちろん野球業界の常識を覆させた。
ところが、14年。大谷が日本プロ野球初の快挙を達成する。同一シーズンで二ケタ勝利と二ケタ本塁打をやってのけたのだ。これには「暴言」を吐いた野村氏も「野球界の常識を覆す選手。自分が監督をしていても二刀流で使いたくなる。打撃でも10年に1人の人材だ」とべたぼめ。球界一の理論で頑固おやじを反対派から賛成派へ変えさせたのだ。
選手たちをやる気にさせる言葉
常識のとらわれない野球だけではない。栗山監督は、人をやる気にさせる天才でもある。たとえば、斎藤佑樹に対しては「斎藤のことは、何があってもほめない」とあえて突き放し、はい上がってくることを信じた。また、ある試合では4番の中田翔に送りバントのサインを出し、中田が成功。試合後、栗山監督自身が「忘れられない日になった」と悲しそうな声で、そのシーンを振り返った。
斎藤の場合、特別扱いをしないという姿勢の表れだし、中田の場合は悔しさを言葉にできない中田を結果的にはかばう発言だ。何気ない指揮官の言葉に、選手はやる気を出すという。そこにあるのは野球愛だし、理論派監督とは思えない情の厚さ。言葉の大切さを誰よりも理解している。
今年は日本ハムにとっても、栗山監督にとっても勝負の1年になる。12年、就任1年目でリーグ優勝を飾ったが、その後は6位、3位、2位。3年間、優勝から遠ざかっている。
監督1年目はエースのダルビッシュ有がメジャー移籍した穴を吉川光夫が埋め、中田ら若手が台頭して、開幕当初から好調さを維持し、優勝。その後は、年間通して好調が続くシーズンはなく、2年連続でAクラスを確保しているものの、パッとしない。若手の台頭、投手陣の再整備で、王者ソフトバンクに真っ向勝負してほしい。