衝撃を与えた名門野球部の“休部”
聖地・甲子園球場で数々の輝かしい功績を残してきた名門・PL学園高校の野球部が、今年の夏以降は休部状態になるという。
2013年3月の部内暴力事件により対外試合出場禁止処分を受け、2015年度からは新入部員の募集を中止。部員は今年の新3年生のみとなり、休部に至るという運びになった。
1962年の初出場から2009年まで、夏の甲子園に出場すること17回。実に4回もの全国制覇を数える名門野球部の休部は、幅広い世代の高校野球ファンに少なからず衝撃を与えたことだろう。
吉川は最後の砦!?
PL野球部の選手育成のすごさは、過去に何年も高卒プロ選手を複数人輩出しているという事実だけでも評価することができる。
桑田真澄に清原和博、立浪和義と橋本清、2001年ドラフトでは浅井(近鉄1位)今江(ロッテ3位)桜井(阪神4位)の3人が指名されている。
そして、近年最後のPL出身者となっているのが、2010年の吉川大幾(中日2位)と勧野甲輝(楽天5位)。この年以降、PLからの高卒選手の指名はない。
勧野は一軍での出場機会がないまま2013年に楽天を戦力外となり、その後は2年間ソフトバンクで育成選手として活動するも、2015年に戦力外となった。現在は社会人で現役を続けている。
一方の吉川は、中日入団時には高校の先輩である立浪の背番号「3」を継承するなど、大きな期待を受けていた。
しかし、プロの壁は高く、一軍出場は4年間で34試合にとどまり、2014年に戦力外。その後、巨人と契約し、昨年はキャリア最高の47試合出場を果たした。今年が“勝負の年”だと言える。
当時は中日を戦力外となった理由について、「練習態度の悪さ」などが取り上げられたこともあったが、今後の吉川の活躍が本人だけでなく、PL学園野球部についてしまったマイナスイメージをも払拭するきっかけとなってくれるのではないかと期待したい。
プロ野球界には、まだまだPLの血が残っている。最古株は楽天の松井稼頭央、そしてロッテのサブロー、阪神・福留孝介と続く。今年から海を渡ったドジャース前田健太もそう。そして最後のバトンを持つのが吉川なのだ。
吉川が「最終走者」となってしまうのか…。野球界から「PL」の2文字が消えてしまうのは、あまりにも寂しい。