巨人史上初の生え抜き以外の選手会長
元横浜の4番であり、2012年FA移籍をしてからは、巨人の4番も張ったことのある村田修一。今年36歳を迎えるベテランは、昨季スランプに陥った。
オープン戦で残した昨季成績は打率.171。開幕前に当時の原監督に二軍行きを命じられ、「スイングに強さが戻らなければ、試合では使わない」とまで言われた。開幕スタメンには名を連ねたが、打撃の調子は上がらず、開幕8試合目では打順を8番に下げられるという屈辱を味わった。
また、送りバントも命じられた試合もあった。村田の不振が原因とはいえ、原監督の厳しすぎる措置にファンからも疑問の声があがる。そもそも、ふたりは相思相愛だったはずなのに。
2011年、村田はFA権を行使し、巨人への移籍を決めた。入団会見では、「これから全力で、読売ジャイアンツのために野球をやりたいと思います。WBCの胴上げに参加できなかったので、今度は原監督を胴上げしたい」と語っている。
村田の移籍を強く後押ししたのは原監督だとされている。サードの穴を埋め、また4番を打てる村田に自らの現役時代の像を重ねていたのかもしれない。「生え抜きではないが、俺は修(村田修一)に選手会長を託そうと思っている」と村田に選手会長を任せたこともあった。
「原監督をもう1回見返してやる!」
愛情の裏返しなのか、原監督の村田に対する態度はときに過酷なほどだ。2012年9月7日のヤクルト戦、5番サードでスタメン出場した村田は、1回無死一、二塁の場面で三振。2回は併殺打と結果を出せなかった。2回裏の守備で交代させられた村田に原監督は、厳しい言葉を投げかけた。
「今夜はもう自宅に帰っていい。リフレッシュして明日また、元気な姿で会おう」
村田はチームの許可を得て試合中に帰宅。その晩、自ら坊主頭にして、次の日にチームに合流した。
開幕前のインタビューで、村田は原に対する思いを語っている。「僕には入った年から厳しいことがありましたし、監督と同じサードというポジションを守っていた。叱咤激励だと思ってやってきましたけど、なかなか思うような成績を残せなかったのは申し訳ない」。昨季の成績の不甲斐なさは村田自身も自覚している。だからこそ、今年にかける思いは強い。
「『原監督をもう1回見返してやる!』という気持ちを常に持ってやりたい」
意気込みを聞かれた村田は強く言い切った。今季はロッテから移籍してきた外国人・クルーズ、プロ2年目の岡本、FA移籍で巨人復帰を果たした脇谷とサードのライバルは数多い。巨人移籍5年目の村田に4番の輝きは再び戻るのだろうか。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)