「白球つれづれ」~第2回・秀岳館高監督 鍛冶舎巧~
マイクの前を離れ、高級スーツを脱ぎ捨てて、男は再び勝負の世界に戻ってきた。
3月20日(日)に開幕した第88回選抜高校野球大会は、奈良の智弁学園の初優勝で幕を閉じた。この大会で選手たちに負けず劣らずの注目を浴びたのが、熊本・秀岳館高校の監督である鍛治舎巧。前職はパナソニックの専務取締役だ。
日本を代表する大企業の要職にある人がどうして高校野球の指揮官を目指したのか…? ユニークな「転身」の裏には、鍛治舎ならではの苦悩と夢があった。
都内で一緒に食事をしたのは、かれこれ10年ほど前のことだ。仕事の関係でこちらからお誘いした宴席に秘書を連れてやってきた。
当時はパナソニックの広報関連担当役員。次週には五輪のスポンサーとしてロンドンに出張するなど、日本国内はもとより世界を飛び回る営業マンだった。
一方では、かつて甲子園で高校野球の解説者として鳴らした「鍛治舎節」は健在。野球を愛する会話が弾んだ。
華麗なる職歴と同様に、球歴もまた光り輝いている。県岐阜商ではエースとして甲子園の土を踏み、早稲田大から社会人・松下電器(現パナソニック)の主砲として活躍。この間には、阪神からドラフト2位で指名を受けたこともある。
現役引退後も、松下の監督や社会人・全日本のコーチを歴任するなど、ミスター・アマ野球といっても過言ではない足跡を残している。
62歳の春、もうひとつの夢への挑戦...
サラリーマンとして着実に階段を登っていく過程でも、大きな葛藤はあった。今でこそ経営のV字回復を果たしたパナソニックだが、鍛治舎が労政部長時代には業績の悪化とともに1万人に及ぶリストラが断行される。
会社側の当事者として交渉の前線に立たされた男は、その後この時の働きもあって役員に抜擢される。だが、一部には「首切り鍛治舎」と厳しいバッシングに晒されたという事実もある。
人生も還暦を迎えた頃、もう一つの夢に挑戦したいという抑えきれない思いを決断する時が来た。
「高校野球にはロマンがあります。365日、子供たちと一緒にいて喜怒哀楽を共有しあう。高校野球の監督を自分の最終章にしたいという思いはずっとありました」
62歳の春、パナソニックの専務はかねてより親交のあった熊本・秀岳館高校の監督に就任した。
それから就任2年目にして、センバツに出場。最後は高松商に敗れてベスト4で散ったが、まずは上々の聖地デビューだろう。
そしてパナソニック時代から、鍛治舎にはもう一つの顔があった。大阪の強豪「枚方ボーイズ」の監督として、有能な人材を秀岳館に特待生として送り込む道筋をつけている。
今回も、先発メンバーの多くは枚方出身者だ。地元では県外者中心のチームを批判する声もあると聞く。だが、この指揮官に悪びれたところはない。
「熊本のチームが全国レベルで通用することが全体の強化、底上げにつながっていく」。さらなる強化で、夏の甲子園の頂点を見据えている。
ちょっぴり出過ぎたおなかに元重役の名残りを感じるが、勝負師に戻った目は厳しくもやさしい。
60歳を過ぎてからの転身は、同年代なら誰もが大きな関心を持つところ。社会人として、野球人として。トップランナーの生きざまにこれからも熱い視線が注がれる。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)