白球つれづれ~第21回・人事を巡る様々な因~
リオ五輪の熱狂の影で野球界にもこの夏は大きな動きがあった。8月9日には中日・谷繁元信監督の休養が発表され、同17日にはオリックス・福良淳一監督の留任が正式に決まった。両軍ともに今季は下位に低迷していたが前者はチームの立て直しが困難と判断したのに対して、後者は再建途上とフロントが判断したもの。福良が球団の生え抜きに対して、谷繁は外様という立場も影響した側面はあるだろう。
ストーブリーグという言葉がある。ペナントレースが終わって球界はドラフト、契約更改やトレードなど人事の話題が中心となる。秋から冬の寒い時期の動きを指すものだが正確には暑い夏から火種は炙り出される。
新聞紙上の片隅に「編成会議」の情報が小さく掲載されているのをご存じだろうか? 高校、大学、社会人の有望選手をリストアップして秋のドラフトの準備に入っていくものだが、それだけではない。支配下選手枠がある以上、新入団選手を迎えることはほぼ同数の既存選手を排除していかねばならない。二軍で伸び悩む選手たちは夏頃からこうした球団の動きを注視して首筋に寒さを覚えるという。
世代交代の失敗
中日の谷繁監督休養劇は7月中旬に行われた白井文吾オーナーへの前半戦報告の席上から端を発したというのが定説だ。シーズン序盤こそ一時は首位に立つなど順調に滑り出したが6月以降に大失速。4年契約の3年目で今季から捕手兼任を終え指揮官に専念したばかりの谷繁にすれば、ここからが勝負の思いはあっただろうが沈みゆくチーム事情がそれを許さなかった。
2012年のシーズン2位を最後にBクラスの続くドラゴンズ。近年の低迷の因を野球評論家でOBでもある牛島和彦は「新旧交代の失敗」と指摘する。
現GMの落合博満が監督時代の5年前には大車輪の働きを見せた岩瀬仁紀や浅尾拓也の強力ストッパーは衰え、昨年オフには攻撃陣の主力を形成した小笠原道大(現二軍監督)、和田一浩さらには現役最年長投手だった山本昌らも引退。その前年にも井端弘和(現巨人コーチ)を自由契約、中田賢一はFAでソフトバンクに去っていった。
こうした大幅戦力減に対して若手でどうにか希望を託せそうな人材と言えば投手で若松駿汰、野手で高橋周平くらい。もちろん大捕手・谷繁の穴も埋まっていない。あとは中南米ルートの助っ人頼みでは何とも心もとない。
それぞれの思い
しかし、今回の政変はオーナーの白井とその寵愛を受ける落合対谷繁の冷戦が最大の因と指摘する関係者は多い。中日の歴史を見ると監督は星野仙一、高木守道ら球団生え抜きを起用する流れが根強くあった。
コーチ陣もそれに伴いOB連が幅を利かせてきたが、白井が落合の監督招請を決めた2004年以降は状況が一変。首脳陣の顔ぶれも現ヘッドの森繁和や西武黄金期の名手・辻発彦らの外部の血を導入、その結果、落合監督時代は8年間で日本一1度、リーグ優勝は4度、それ以外の年もすべてAクラスの王国建設に成功したからオーナーの落合に対する信頼は絶大なものになっていった。
GMとして谷繁をバックアップする形となった落合に対して現指揮官がもっと大きな戦力補強を期待したとしても不思議ではない。今季からは自分の腹心として横浜時代から気心の知れる佐伯貴弘を二軍から呼び寄せた。だが落合にしてみれば自分が監督就任時には球団に外部からの補強は求めず結果を残した自負もある。
特に2011年のリーグⅤはチーム打率、得点ともリーグ最低の貧打を克服して王者になっている。こうした両者の意思疎通が図られないまま谷繁時代は突然の終幕を迎えた。
18日付のスポーツ報知では白井オーナーが初めて谷繁休養(もちろん今回は解任の意味を持つ)の真相を語っている。
「要はみっともないことはやめてくれということだ」この言葉の意味は試合中にガムをかんだり、負けゲームでも佐伯コーチと談笑したりする姿勢が我慢ならないということだ。この窮地に死に物狂いの姿勢がないということか。
地元マスコミを中心に落合の責任を問う声も出ている。早くも次期監督候補として小笠原道大の名も上がっている。一方では主力の平田良介や大島洋平の今オフのFA移籍までが心配されている。谷繁を斬るだけで問題は何も解決しない。今こそフロントの力量が問われている。
文=荒川和夫(あらかわかずお)