松坂に並ぶ球団新人最多の15奪三振をマーク
9月7日の楽天戦、西武のドラフト1位ルーキー・多和田真三郎が快投を演じた。
初回から2安打を浴びながらも、3つのアウトすべてを三振で切り抜けると、その後は変化球を効果的に交えて楽天打線を翻弄。9回は圧巻の3者連続三振で計15の奪三振ショーを締めくくった。
140球と球数はかさんだが、9回1失点で見事に完投勝利。15奪三振というのは、1999年9月2日の日本ハム戦で松坂大輔(現ソフトバンク)がマークした球団新人最多タイ記録だ。
入団時には、「松坂投手のように複数のタイトルを取れるピッチャーになりたい」と発言していた多和田。背番号「18」を受け継いだ大先輩とはやくも肩を並べた。
ケガを乗り越えて順調なキャリア
多和田は沖縄県の出身。中部商業高から富士大に進学し、1年春から早速リーグ戦に登板すると、その年の明治神宮野球大会の国際武道大戦で大会史上4人目となるノーヒット・ノーランを達成した。
3年秋のノースアジア大学戦では、1試合奪三振のリーグ新記録となる18奪三振をマーク。大学時代に積み重ねた299奪三振は、以前のリーグ記録である247を大きく上回る通算最多奪三振記録となった。
4年春に右肩を痛めた影響で、秋季リーグでは登板を回避。その影響を不安視する声もあったが、プロ入り後は順調そのものだった。
イースタン・リーグでは5試合・22回を投げて21奪三振、防御率2.05を記録。きっちりと結果を残し、初の一軍マウンドに上がったのはまだシーズン序盤の5月14日のことだった。
初完封以降は安定感を増し無傷の4連勝!
しかし、このあと多和田は一軍の壁にぶつかることとなる。
デビュー戦は1回4失点でプロ1敗目を喫するほろ苦い結果に。その後、6月19日のヤクルト戦で初勝利を挙げるものの、多和田の成績は5回5失点。味方の援護に助けられた白星だった。
このころ、多和田の防御率は6点台に迫っており、「まだ二軍で経験を積ませるべきではないか」という声も挙がった。
しかし、そんな外野の声を、多和田は力でかき消してみせる。8月11日、日本ハム戦の先発マウンドに上がると、強力打線をわずか3安打に抑え込んでプロ初完封勝利。以降は安定感が格段に増し、7日の楽天戦まで5試合で無傷の4勝をマーク。ついに6勝5敗と勝ち星を先行させた。
西武はもともと投手力に難があると指摘されてきたチーム。ここまでの先発防御率4.19は、最下位・オリックスの4.31に次ぐリーグワースト2位の数字である。その中で1年目から頭角を現してきたドラ1右腕はまさに希望の光だ。
3年連続のBクラスが近づいてきたチームに差した光明。伝統の“レオの18”――。エースナンバーを背負う男が、次期エースに名乗りを上げる。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)