大車輪の活躍を見せた41歳の大ベテラン・黒田
今季限りでの現役引退を表明した黒田博樹(広島)が、11月5日、ファンに最後のユニフォーム姿を披露。広島市内での優勝パレード後、マツダスタジアムで引退セレモニーを行った。マウンドに向かってひざまずき涙する黒田の姿は、黒田の引退をどこか現実感を持って受け入れることができなかったファンにも「本当に黒田が引退するんだ」と印象づけたに違いない。
黒田の引退を信じられないファンがいるのも当然といえば当然だ。今季の黒田の成績は24試合に登板して10勝8敗、防御率3.09。広島復帰時に「2桁勝てなければ“区切り”をつけなければならない」との発言をしているが、それを今季もクリアしている。また、41歳の大ベテランながら投球回は151回2/3。リーグ10位の数字を残し、まさに大車輪の働きぶりだ。もちろん、多くのファンは黒田が満身創痍だということはわかっているだろう。それでも「まだできる」「もったいない」と思わせるほどの成績だったというわけだ。
晩年には思ったような成績が残せなくなり引退を決意する選手がほとんどというなか、黒田のようなケースは珍しい。だが、過去には黒田と同じようにキャリアの最終年にも大いに活躍したにもかかわらずユニフォームを脱いだ“あのふたり”の投手もいた。
キャリアの最後まで因縁のあった江川卓と小林繁
まずは、元祖“怪物”江川卓(元巨人)。引退は1987年、32歳のときだ。この年、江川は13勝5敗という成績を残している。防御率は3.51と、江川の通算防御率の3.02から見ればやや陰りが見えるものの、.722という勝率が光る。
江川は、ルーキーイヤーの1979年に9勝に終わると、1桁勝利で終わるようではプロ野球を続けてはダメだと考えるようになったという。最終年も2桁勝利を挙げながら引退したのは自らの衰えを感じたからだ。
1987年5月13日の阪神戦、8回まで完封ペースの快投を続けながら、代打で登場したまだ無名だったルーキー・八木裕(元阪神)にフルスイングでスタンドまで運ばれたことに江川は強いショックを受けた。また、小早川毅彦(元広島・ヤクルト)も江川に引退を決意させたひとりだ。9月20日の広島戦、この日は長く悩まされていた右肩痛もなく江川は絶好調。だが、自ら完璧だと思って投げた勝負の内角直球は小早川によって本塁打にされてしまった。この年、確かに2桁勝利を挙げているが、これらの経験により「来季は1桁勝利に終わる」と感じた江川は引退を決意した。
そして、江川のプロ入りの経緯をめぐって因縁のある小林繁(元巨人・阪神)も引退年に好成績を残している。小林は31歳となる1983年に引退。その前年のシーズン終了後、15勝できなかったらユニフォームを脱ぐと宣言。当時、自らを鼓舞する言葉とされたが、実際、右肘や右肩など、小林の体は変調をきたしていた。
そして、江川と同様に、小林にも引退を決意させた選手がいる。大島康徳(元中日・日本ハム)だ。6月25日の中日戦、自信を持って投げた内角シュートを大島にスタンドまで運ばれた。大島はそれまで“カモ”にしていた選手。にもかかわらず、小林はその後も大島に打ち込まれた。結果、15勝達成の可能性も残されていたシーズン途中の8月、小林は引退を表明。この年の成績は13勝14敗、防御率4.05。奇しくも、13勝という最終年の記録も江川と同じなら、引退年まで8年連続2桁勝利を挙げたのも江川と同じであった。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)