今から8年前の2月12日、中村紀洋氏は中日の入団テスト実施が決定した日だ。06年オフ、当時所属していたオリックスの契約更改交渉で、2億円から60%ダウンとなる8000万円の提示を受けるも保留。6度の交渉も合意に至らず、中村氏は退団することになった。
中村氏は春季キャンプがスタートした2月1日までに所属先が決まらなかったが、12日に中日から入団テスト実施が決まる。14日には、気合いを入れて丸刈りで沖縄入り。15日から10日間入団テストが行われ、25日に育成選手として契約を結んだ。
オープン戦では『205』を背負いプレーし、当時ルーキーだった田中将大から一発を放つなどアピールし、3月23日に支配下選手として契約。シーズンが開幕してからは三塁のレギュラーとして130試合に出場し、打率.293、20本塁打79打点の成績を残した。
同年の日本シリーズでは、18打数8安打、打率.444、4打点と打ちまくり53年ぶりの日本一に大きく貢献。自身もテスト生から日本シリーズMVPを獲得して見せ、日本シリーズMVPインタビューでは「ドラゴンズに本当に感謝しています」と感謝の言葉を口にした。
あれから8年が経った。昨年10月にDeNAから戦力外通告を受け、今季の所属先チームが決まっていない。2007年の中日、2011年の5月に入団が決まった横浜時代のように、移籍先が見つかるのだろうか。
中村氏は春季キャンプがスタートした2月1日までに所属先が決まらなかったが、12日に中日から入団テスト実施が決まる。14日には、気合いを入れて丸刈りで沖縄入り。15日から10日間入団テストが行われ、25日に育成選手として契約を結んだ。
オープン戦では『205』を背負いプレーし、当時ルーキーだった田中将大から一発を放つなどアピールし、3月23日に支配下選手として契約。シーズンが開幕してからは三塁のレギュラーとして130試合に出場し、打率.293、20本塁打79打点の成績を残した。
同年の日本シリーズでは、18打数8安打、打率.444、4打点と打ちまくり53年ぶりの日本一に大きく貢献。自身もテスト生から日本シリーズMVPを獲得して見せ、日本シリーズMVPインタビューでは「ドラゴンズに本当に感謝しています」と感謝の言葉を口にした。
あれから8年が経った。昨年10月にDeNAから戦力外通告を受け、今季の所属先チームが決まっていない。2007年の中日、2011年の5月に入団が決まった横浜時代のように、移籍先が見つかるのだろうか。