20日、TBS系の『バースデイ』で、通算2000安打を達成した中日の和田一浩が、レギュラー定着までの苦悩の日々を語った。
和田は大学、社会人を経て、96年ドラフト4位で、捕手として西武に入団。夢であるプロの世界に入ったのは良かったものの、当時は伊東勤という球界を代表する捕手が君臨していた。和田は「伊東さんの姿というか、今まで見てきた選手の中で別次元だった。そういう意味で伊東さんの壁は高かった」と振り返る。
また、捕手で出場したときもミスが目立ち、結果を残すことができず。「1年1年契約してもらえるのかなという不安じゃないですけど、そういう立場にあった。僕自身もこのままいったらプロで飯を食っていけないなという感じにはなっていた」と和田自身もクビを覚悟したほど。
転機が訪れたのは、01年オフ。捕手失格の烙印を押され、外野にコンバート。コンバートを首脳陣に言われたとき和田は、「挫折感はありました。ただ、実力の違いは感じていた。僕もレギュラーを取れずに、このまま現役生活を終えてしまうのかなという危機感がちょうど重なった時期。しょうがないという気持ちしかなかった」と当時を振り返った。
このコンバートが和田の飛躍するきっかけになった。当時の打撃コーチ金森栄治コーチと練習を重ね、02年、30歳で初めて規定打席に到達すると、打率.319、33本塁打をマーク。同年にレギュラーに定着した和田はコツコツと安打を積み重ねていき、6月11日のロッテ戦で通算2000安打を達成。
遅咲きの和田は「順調に(2000安打達成)行く人は、33歳、34歳で達成するので、そういうところからすると僕はカメみたいなもの。2000本という数字は全く見えていなかった。自分のペースでこういうところまで来たのではないか」と自身を評価する。
42歳11か月と史上最年長で通算2000安打を達成した和田。レギュラーを掴めず、伸び悩む選手たちには大きな希望になったことだろう。
和田は大学、社会人を経て、96年ドラフト4位で、捕手として西武に入団。夢であるプロの世界に入ったのは良かったものの、当時は伊東勤という球界を代表する捕手が君臨していた。和田は「伊東さんの姿というか、今まで見てきた選手の中で別次元だった。そういう意味で伊東さんの壁は高かった」と振り返る。
また、捕手で出場したときもミスが目立ち、結果を残すことができず。「1年1年契約してもらえるのかなという不安じゃないですけど、そういう立場にあった。僕自身もこのままいったらプロで飯を食っていけないなという感じにはなっていた」と和田自身もクビを覚悟したほど。
転機が訪れたのは、01年オフ。捕手失格の烙印を押され、外野にコンバート。コンバートを首脳陣に言われたとき和田は、「挫折感はありました。ただ、実力の違いは感じていた。僕もレギュラーを取れずに、このまま現役生活を終えてしまうのかなという危機感がちょうど重なった時期。しょうがないという気持ちしかなかった」と当時を振り返った。
このコンバートが和田の飛躍するきっかけになった。当時の打撃コーチ金森栄治コーチと練習を重ね、02年、30歳で初めて規定打席に到達すると、打率.319、33本塁打をマーク。同年にレギュラーに定着した和田はコツコツと安打を積み重ねていき、6月11日のロッテ戦で通算2000安打を達成。
遅咲きの和田は「順調に(2000安打達成)行く人は、33歳、34歳で達成するので、そういうところからすると僕はカメみたいなもの。2000本という数字は全く見えていなかった。自分のペースでこういうところまで来たのではないか」と自身を評価する。
42歳11か月と史上最年長で通算2000安打を達成した和田。レギュラーを掴めず、伸び悩む選手たちには大きな希望になったことだろう。