大物の移籍先が続々と決まっているMLBのストーブリーグで、岩隈久志の周囲も慌ただしくなってきた。
現地時間6日(日本時間7日)、米大手スポーツメディア『CBS Sports』のジョン・ヘイマン記者が「ドジャースが岩隈と3年契約を結んだ」とツイート。一時は情報が錯綜する場面も見られたが、すでに『ESPN.com』など複数サイトで報道が出ており、ほぼほぼ決まったとみられている。
ドジャースは今オフ、先発で左右の両輪の一角を担ったザック・グリンキーをダイヤモンドバックスに流出。抜けた穴をなんとか補填すべく、急ピッチで先発右腕の獲得に乗り出していた。
岩隈は持ち味の制球力と落ちるボールで渡米以来安定した成績を残し続け、4年間で積み上げた勝利は47勝。通算の防御率も3.17と先発投手として申し分ない働きを見せてきた。地区3連覇中のドジャースでも先発の一角としての活躍に期待がかかる。
ドジャースといえば、伝統的に日本人投手が活躍してきた球団として知られている。
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして知られる野茂英雄は、1995年にドジャースでメジャーデビュー。新人王を獲得するなど、3年間で43勝をマークした。その後、メッツやブリュワーズなどを渡り歩き、2002年にはドジャースへ復帰。復帰から2年連続で16勝をマークするなど活躍し、「野茂と言えばドジャース」という印象を持っているファンも多い。
また、野茂が復帰した2002年にドジャースへ入団したのが、左腕の石井一久。この人も1年目にいきなり14勝を挙げるデビューを果たすと、2年目は9勝、3年目は13勝とコンスタントに勝ち星を重ねた。
さらに、この時期は木田優夫もドジャースに在籍。木田は2003年から2004年途中までの在籍で6試合の登板に留まり、0勝1敗と物足りない成績には終わったものの、この時期はチームに3人も日本人投手が在籍していたことになる。
2004年シーズンの終わりにはこの3投手が全員チームを離れることとなったが、2006年に斎藤隆が海を渡ってやってくる。1年目からいきなり72試合に登板して6勝2敗、24のセーブを挙げて防御率2.07と安定感抜群の投球を披露。3年間の在籍で180試合に登板し、81個のセーブを記録した。
そして、最も最近ドジャースに在籍していた日本人投手といえば、黒田博樹。2008年にドジャースでデビューすると、先発の一角として4年間で41勝をマーク。4年間で3度も30先発以上を記録するなど、名門チームのローテーションを支えた。
これだけの日本人投手が活躍する裏には、いくつかの要因がある。
もっとも大きいポイントと言えるのが、ロサンゼルスという土地の環境の良さ。西海岸特有の温暖な気候に恵まれ、雨も少なく乾燥していて過ごしやすい。住んでいる日本人も多く、コミュニティが充実していることも選手やその家族にとって大きな魅力のひとつだ。
さらに、球場の形状も投手に味方している。球場毎の点の入りやすさを比較する「パークファクター」と呼ばれる指標を見てみると、2015年は0.918(※『ESPN.com』より)で、メジャー30球場中23番目に得点が入りづらいというデータが出る。広大なファウルグラウンドに客席が設けられ、以前よりも投手有利は薄まったと言われる中でも得点は少なめのままなのだ。
岩隈もこれまで先輩たちが築いてきた良い流れに乗り、活躍を見せることができるか。今後の動向も含めて注目だ。
石井一久(2002~2004)
木田優夫(2003~2004)
斎藤 隆(2006~2008)
黒田博樹(2008~2011)
現地時間6日(日本時間7日)、米大手スポーツメディア『CBS Sports』のジョン・ヘイマン記者が「ドジャースが岩隈と3年契約を結んだ」とツイート。一時は情報が錯綜する場面も見られたが、すでに『ESPN.com』など複数サイトで報道が出ており、ほぼほぼ決まったとみられている。
ドジャースは今オフ、先発で左右の両輪の一角を担ったザック・グリンキーをダイヤモンドバックスに流出。抜けた穴をなんとか補填すべく、急ピッチで先発右腕の獲得に乗り出していた。
岩隈は持ち味の制球力と落ちるボールで渡米以来安定した成績を残し続け、4年間で積み上げた勝利は47勝。通算の防御率も3.17と先発投手として申し分ない働きを見せてきた。地区3連覇中のドジャースでも先発の一角としての活躍に期待がかかる。
ドジャースといえば、伝統的に日本人投手が活躍してきた球団として知られている。
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして知られる野茂英雄は、1995年にドジャースでメジャーデビュー。新人王を獲得するなど、3年間で43勝をマークした。その後、メッツやブリュワーズなどを渡り歩き、2002年にはドジャースへ復帰。復帰から2年連続で16勝をマークするなど活躍し、「野茂と言えばドジャース」という印象を持っているファンも多い。
また、野茂が復帰した2002年にドジャースへ入団したのが、左腕の石井一久。この人も1年目にいきなり14勝を挙げるデビューを果たすと、2年目は9勝、3年目は13勝とコンスタントに勝ち星を重ねた。
さらに、この時期は木田優夫もドジャースに在籍。木田は2003年から2004年途中までの在籍で6試合の登板に留まり、0勝1敗と物足りない成績には終わったものの、この時期はチームに3人も日本人投手が在籍していたことになる。
2004年シーズンの終わりにはこの3投手が全員チームを離れることとなったが、2006年に斎藤隆が海を渡ってやってくる。1年目からいきなり72試合に登板して6勝2敗、24のセーブを挙げて防御率2.07と安定感抜群の投球を披露。3年間の在籍で180試合に登板し、81個のセーブを記録した。
そして、最も最近ドジャースに在籍していた日本人投手といえば、黒田博樹。2008年にドジャースでデビューすると、先発の一角として4年間で41勝をマーク。4年間で3度も30先発以上を記録するなど、名門チームのローテーションを支えた。
これだけの日本人投手が活躍する裏には、いくつかの要因がある。
もっとも大きいポイントと言えるのが、ロサンゼルスという土地の環境の良さ。西海岸特有の温暖な気候に恵まれ、雨も少なく乾燥していて過ごしやすい。住んでいる日本人も多く、コミュニティが充実していることも選手やその家族にとって大きな魅力のひとつだ。
さらに、球場の形状も投手に味方している。球場毎の点の入りやすさを比較する「パークファクター」と呼ばれる指標を見てみると、2015年は0.918(※『ESPN.com』より)で、メジャー30球場中23番目に得点が入りづらいというデータが出る。広大なファウルグラウンドに客席が設けられ、以前よりも投手有利は薄まったと言われる中でも得点は少なめのままなのだ。
岩隈もこれまで先輩たちが築いてきた良い流れに乗り、活躍を見せることができるか。今後の動向も含めて注目だ。
ドジャースに在籍した日本人投手たち
野茂英雄(1995~1998、2002~2004)石井一久(2002~2004)
木田優夫(2003~2004)
斎藤 隆(2006~2008)
黒田博樹(2008~2011)