メジャー再挑戦のチャンスを掴んだ燕の元守護神
昨年までヤクルトの守護神として活躍したトニー・バーネットが、テキサス・レンジャースの開幕メンバー25名に登録された。
昨シーズンは阪神の呉昇桓と並ぶリーグ最多の41セーブをあげるなど、ヤクルトの14年ぶりリーグ優勝に大きく貢献。マウンド上で見せる勝利のガッツポーズが記憶に残っているファンも多いだろう。
ヤクルトの絶対的な守護神として日本で大活躍をみせたバーネットだが、実はメジャーでの登板はまだない。
2006年のドラフト10巡目でダイヤモンドバックスとマイナー契約に至って以来、メジャーへの昇格は一度もないまま、2010年に来日したのだ。
ヤクルト入団直後、1年目はマイナー時代と同様に先発で起用され、4月の初登板・初先発でいきなり勝利。上々のスタートを見せたバーネットだったが、その後は一軍と二軍を往復する状態に。シーズンオフには一度自由契約にもなっている。
それでも、獲得予定の外国人選手がメディカルチェックで不合格となった事情などもあり、再びヤクルトでプレーすることに。そして迎えた2011年シーズンが、結果としてバーネットの野球人生の大きな転機となった。
この年は開幕後に先発から中継ぎに転向。セットアッパーとして安定した投球を見せる。
シーズン終盤の9月に右手首のケガで離脱するも、48試合に登板。22ホールド、2セーブの数字を残し、チームの2位躍進と共に存在感を示した。
2012年には林昌勇の不調により、クローザーに転向。中日・岩瀬仁紀と並ぶリーグ最多の33セーブを挙げて初のセーブ王を獲得。オールスターにも出場を果たすなど、順調なシーズンとなる。
ところが、その後の2年間はケガが重なり、最下位に沈むチームとともに浮上できずに終わった。
こうして見ると、チームの浮き沈みと重なるようにキャリアを歩むバーネット。前述のように、チームがリーグ優勝を果たした2015シーズンは開幕から23試合連続無失点を記録するなど、一年を通して好調をキープ。再びセーブ王に輝くなど、大活躍を見せた。
決して順風満帆じゃなかったキャリア
やはり昨年の印象が強く残るが、こうして見てみると、来日してからの6年間は決して順風満帆だったわけではないことがわかる。
先発から中継ぎ、さらにはクローザーへの転向に加え、毎年のようにケガでの離脱を繰り返し、2015年シーズン前にはメジャー経験のあるオンドルセクの入団により、クローザーの座も脅かされるなど、かなりの苦労人だ。
ヤクルトと契約満了となった昨シーズンオフ、チームは残留を要請したが、最後はバーネット本人のメジャー移籍への意向を尊重する形でメジャー移籍が決定。メジャー経験のない32歳の投手がレンジャーズとのメジャー契約に至った背景には、日本での実績も大きく影響している。
ソフトバンク・松坂大輔や広島・黒田博樹など、メジャーから日本球界へ復帰する選手や、レッドソックスの田沢純一のように日本のプロ野球経験なくアメリカに渡ってメジャーに挑戦する選手というのも珍しくなくなり、野球選手のキャリアの在り方も多様になってきている。
そんな中でバーネットのように日本で成長を遂げ、メジャーへ挑戦する外国人選手というのも、また新たな形として選手の可能性を広げるだろう。
日本に来た「助っ人外国人」としてではなく、「日本で育った選手」としてバーネットを応援すれば、今年のメジャーリーグをさらに楽しむことができそうだ。
そして、レンジャーズといえば、右ヒジ手術からの復帰を目指すダルビッシュ有も所属するチームだ。この2人のリレーを見ることはできるか、今年のたのしみのひとつとなりそうだ。